2015年5月10日 「キリストを身にまといて (六マリアをどう説明するのですか。)」 文亨進 全訳版 六マリアを正しく理解するための必読説教です。

三代王権・真の御父様に帰ろう!

                    より引用拡散中

2015年5月16日土曜日

2015年5月10日 「キリストを身にまといて (六マリアをどう説明するのですか。)」 文亨進 全訳版 六マリアを正しく理解するための必読説教です。

sanctuarychurchnewfoundlandPA Putting on Christ, May 10th, 2015
(三回分割になりましたがこれで全部です。special thanks Mr.oceanus)
過去の説教ではセンセーショナルな部分が注目された感もありますが、
今回は、その内実に迫る非常に心情的説教です。
今回の説教は6マリア・三日行事・そしてお母様のご心情に対して
お父様のメシア性をもって
非常に深い心情と深い神学を説明しておられ、心に染み渡る感銘深い説教です。
是非出来るだけ多くの人に伝えてください。
私たちの信仰を支えるバックボーンとなり伝道する時の大きな支えになる銘説教だと思います。

これは素晴らしい写真ですね。
もう皆さんにお見せしたかどうかわかりませんが、
今週韓国に向けて説教する時にも見せるつもりです。

この写真をご覧ください。
これは4月21日お父様の聖婚問答を復活させた日に起き現象です。
4つの虹が写真に収められています。
ウィキペディアでも確認しましたが、4つもの虹が同時に写真に収められたことはないそうです。
4つの虹が同時にです!見えますか?一つはここに、そしてここ・・・信じられません。
お父様の聖婚問答をこの地に取り戻したことをどなたかが喜んでいらっしゃるのでしょう。
何ということでしょう。

悪魔は怒っているでしょうね。それはかまいません。悪魔を怒らせるのは気分がいいです。
今日は「キリストを身にまとう(Putting on Christ)」という題でお話します。

ロマ書3章11節から14節まで読みましょう。

「イエス・キリストを身にまといなさい」素晴らしい聖句です。
私たちにとって何と時に適っているのでしょうか。
世界教会は自分たちが誰であり何であるのかも分からずに病的に眠りこけています。
「今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです」。
私たちがお父様を探し求め始めて、より深く追い求めて行くにつれて救いが私たちに近づいてくることを感じています。
どこに向かっているのか私も分からない時がありますが、そんな時には霊が「ここで閉じられているこの扉を開きなさい」と教えてくれます。

「夜はふけ、日が近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて、光の武具を身に着けましょう」。
ここでいう「武具」はギリシャ語では「ホプロン(όπλο)」です。
その意味は「武器」「武具」「道具」「用具」などです。
「光」はギリシャ語で「フォース(φως)」でここからフォトン、フォトグラフィ(写真)などが派生しています。
意味は「光」です。「炎」をも意味するので、「炎の武具」ともとれます。

聖霊による洗礼を受け、光の武具すなわち炎の武具をもつ。聖霊の力です。

続けて、「日中を歩むように、品位をもって歩もう」。
お父様が「正午定着」と言われたのを覚えているでしょう?
解放・釈放が成される時、神様までも解放されて私たちは正午の日の下で歩むということです。
日中を歩むように、品位をもって歩む・・正午、影のない時を歩むのです。
そして主イエス・キリストを身にまとい。肉に心を用いてはならない。
この路程に入って、お父様を深く理解しようとするとき、キリストについてより深く理解しようとする時、人生においてその状況が分からない時、再臨主はどういうお方であったのかとより深く求めて行くのです。
本当に嘆かわしいことは、世界教会で、お父様について語る者が誰一人いないということです。
皆さんは話しますよ。「異端」である皆さんは(お父様について)語りますね。
お父様はどういうお方だったのでしょう?

その真の活動的姿について先週、「キリストの花嫁」で話しました。
皆さんがこの問題と闘っていることは知っています。
でもこれは何という恵みでしょうか。
花婿がキリストの体と闘うということは素晴らしいことではないですか。
花婿と争うことはより近づくということでしょう。
そうすれば、どれ程あなたを愛しているのか悟ることができるというのです。
時には取っ組み合いをすることも必要です。
私も妻と取っ組み合い(wrestle)をします。私たちは花婿と組み合う必要があります。
花嫁は花婿と組み合わなければならないというのです。これは大切なことです。
近づかなければなりません。近づかなければならないのです。
天使長的教会は花婿を押し離しています。彼らは花婿を何か敷物の下に押し込んで隠しています。
問題を起こさないようにと花婿、神の子を小さな小部屋に押し込んで制御しようとしているのです。
だから彼らは弱々しく、絶望的なのです。
なぜならキリストの現実に白昼堂々と向き合おうことができない、向き合おうとしないからです。隠したがるのです。

イエスは終末のときにはノア時の如くになると予言されました。
二つのグループに分けられる、ある女は連れて行かれ、ある女は残される。
この2つの女性、グループについて話をしました。
連れて行かれるグループは、お父様の裸を恥と思はない人々です。父ノアの裸を恥じない人です。
もう1つのグループはお父様を恥ずかしく思う者達。この者達は取り残されます。
終わりの時にはこうなるというのです。
私は皆さんを良い気分にさせるためにここにいるのではありません。真実を話すためにここにいます。たとえ真実があなたを傷つけたとしても、それは仕方がないのです。
皆さんが気に入ろうと気に入るまいと関係ありません。これが真実なのですから。
真実に賛同しようがしまいが関係ないのです。真実は真実です。
お父様を恥じるようなことがあれば罪に定められるでしょう。
父を恥ずかしく思うことのない息子、娘として立てますか?

先週、ギリシャ語の花嫁「ヌンフェ(νύμφη)」は「義理の娘」という意味があると学びました。
これは不思議な話です。どう説明しますか。
聖書にもよく出る「花嫁」という言葉が「花嫁」と「義理の娘」つまり「息子の嫁」の意味を併せ持つということをどう理解すればよいのでしょう。大きな謎です。
聖書の中で花婿を迎える花嫁が二重の意味を持つのか。「花婿」には「息子の婿」などという意味はなく「花婿」という意味しかありません。
なのに「花嫁」には「義理の娘」という意味がある。なぜでしょう?

先週は三日儀式についてお話ししました。三日儀式の内容を恥ずかしく思って隠し公然と明確に話してこなかった。そして三日儀式の真実とその力を秘密にしてきました。
なぜなら私たちは恥じる者になってしまったからです。お父様と共に行かない者たちです。
お父様を恥じることで、お父様に恥を投げかける者になりました。
驚くべきことに、私たちが三日儀式を深く探求していく時、女性は堕落したエバの立場でキリストと関係することにより真の花嫁になる、そしてサタン圏の天使長である花婿はキリストとの関係を通して、キリストに服従することで神の子として新生する。
花嫁はあなたの花嫁ではありません。花嫁はあなたのものではないのです。彼女は神様のものです。神様があなたを愛するゆえに彼女をあなたに与えられるのです。

神様が私たちを愛するがゆえに花嫁を下さるのです!

私たちにその資格があるからではありません。私たちがそれに値するからでも何かを成したからでもなく、神様の善と愛ゆえに賜ったのです。それを忘れてしまっています。
自分たちが善人であり信仰を立てた正しい人間だから彼女を得たと信じているのです。
それは独善です。真実ではありません。資格も値も何かを成したわけでもないのです。
神様から(一方的に)賜ったのです。
このことを理解する時、私たちは花嫁の存在に畏敬の念を抱くのです。
彼女を畏れるというのです。

先週話しましたが、他のどんな者達とも違う主が来られる時、それは神様ご自身が地上に降り立つことを意味します。

彼は創造主と一つになったお方です。
お父様は最後に夜の神様、昼の神様を説くことでこのことを明らかにされました。
キリストは夜の神様から来られます。
人々は原理がいっていることと違う、原理ではイエスも人だと言っていると叫びました。
どれほど多くの人がそう言ったでしょう。

しかし最終的にお父様はご自分の本性は神様からのものだと明かされました。
実際お父様はその教えを明らかにし、とても重要な教えなので全員学ぶようにおっしゃいました。にもかかわらずそれを消し去ろうとしました。
それは、お父様が全員が学ぶことを願われた原理本体論の中に入っています。その中にはなぜお父様がこのような路程を歩まなければならなかったかということが書かれています。
キリストは他の人間とは違うのです。彼は肉をまとった創造主です。
天聖経を読んで下さい。
そこお父様ははっきりと神様はアダムの肉体を用いたと書かれています。
神様はアダムの肉体を通して生きられるのです。

もし、お父様が神様であるということに抵抗を感じるとすればそれはあなたの問題です。
お父様は最後にそれについて話されました。決して老人性痴呆などではありませんでした。
信仰なき者の共通の愚かさがそんなことを言わせるのです。
お父様に対して憤りをもつ者、怒る者達が天聖経の「神様はお父様の中に入られてこの世に出現されたと」いう真理を否定しようとするのです。私たちは神様と共にいたのです。

私たち人間は自分を中心に物事を解釈しようとします。
いつでも自分中心に自分のやり方で、あるいは周りの社会を中心に、その社会の価値観を基準にして神様を解釈しようとします。そして自分たちが望むような神様をつくりあげます。神様を神様のまま見ようとしません。私たちが解放されていないからです。
自由になるためには神様を本来の神様として見なければならないのです。
その神様にあなたの生活を委ねるのです。神様をコントロールしようとすることはやめて神様を自分の生活に迎えるのです。その時こそ本当の力が生まれます。
自分を信じる時に生まれる人工的な力ではありません。そんなものはあまりに弱いものです。力がありません。全く無いのです。そんなも考えを持っていても毎日自分の中で崩れて行きます。毎日、危険と隣り合わせです。自分を信じようとする者は罪人です。
私たちのイメージに神様を合わせることはよしましょう。
神様のイメージに従って私たちは造られました。
だから神様をありのまま受け止めなければなりません。私の好みに従うのでなく。

最後の日に神の子として最も重要なことです。
最後の時、それが求められるのです。お父様を支持するのか、お父様を恥と思うのか。
お父様のたどられたすべての路程を全て栄光に思い讃美できるか。
それとも悪魔サタンの如く、お父様を恥じて隠そうとするか。
さあ、どちらにしますか?それが分岐点です。
この瞬間ためらっていてはいけないのです。
世界が崩れようとしている時、まっすぐ神様の下に行かねばなりません。
誠実に正午、太陽が照らす中、主イエスキリストを身に着け、身にまとうのです。

「キリストの花嫁」でこの問題を話し祈った時、人々の反応は3種類に分かれました。
一つは「狂気の沙汰だ」「そんな話は聞きたくない」「私にそんな話をしないで下さい」「どこかに隠しておきなさい、聞きたくもない」。これが一つのグループです。完全拒否です。触れることも見ることもしようとしない人たち。

また別のグループは「キリストの花嫁」「6マリア」などを聞いて、心底から理解したい、納得したいという人たちです。お父様はお父様のままで、お父様が語られたまま、理解したい、そういう人たちです。

最後のグループは即座にわかってしまう人たち、霊的体験を重ね、聖霊の訪れを受けて直ちに納得する人たちです。

驚くべきことに、聖書には最後の日に小麦ともみがらに分けるとあります。
すべてが明らかになるのです。
あなたがどんな人間で何を信じているのかがはっきり現われるのです。
霊の親、友人、教会の中に隠れても無駄です。
最後の時には、あなたが信じる内容が現われるのです。
自分の教会に良い人がいて居心地がいいと言ってもそこに隠れていることはできません。
最後の日、最後の時には信じる内容が問われます。

この問題について祈っている時、私の妻がある新聞記事を見せてくれました。
ニューヨークタイムズに載ったモルモン教に関する記事でした。
2014年のものですが、皆さんもご存じのように、統一教会はモルモン教には一目置いています。
その教義ではなく、組織作りの素晴らしさ、その教勢の拡大、世界宣教など。
韓国にいてもモルモン教の人が声を懸けてきます。
白人が近づいてきて「神様について学びませんか」と声をかけます。
その見事な世界進出と何百万の信徒数に驚かされます。
教義を見る時、まあ奇妙に思えるのですが、その動員力と発展は私たちも見習おうという訳です。モルモン教徒だった人もここにいますね。
さて新聞記事の見出しにこうあります。「公式発表:モルモン教創始者に40人の妻がいた」モルモン教徒なら御存じでしょう。
2014年にこの記事が出ました。ウィキペディアを見るとジョセフ・スミスの妻の名が全て載っています。またブリガム・ヤングの妻の名前のリストもあります。
エマ、へイル、などなどさまざまな女性の名前が続きます。
大学に行けばモルモン教信者がいますよね。彼らは強い信仰をもっています。
ブロガーのエミリー・ジェンセンはこう言っています。
―タイムズ記事引用―
「ジョセフ・スミスは私にとって完璧な預言者です。多くの人にとってもそうでしょう。」今回の教会の発表にたいしてのモルモン教徒の反応は悲しみの5段階の様なものだという。
第一段階―悲しみ、第2段階―怒り、教会員たちはブログやSNSを通して「こんなのは私が育った教会じゃない。これは私の愛するジョセフ・スミスではない」

私がチベット仏教を学んでいた時、僧侶たちと一緒に生活していました。
チベット仏教には4大宗派があります。ニンマ派はラマ(上人)が最高位です。
彼は配偶者を迎えます。
コロラドのシャンバラ・マウンテン・センターにとても有名な仏教指導者という人がいます。ハーバード大学の私の先生が若い頃瞑想の修行のためコロラドのセンターにいったそうです。そこでチョンギャム・トゥルンパは数多くの女性とセックスをしていたと言います。

この記事の面白によると、「一夫多妻制にかんする4つの論文は、これまで時に信者を幻滅させ離教の原因となってきた歴史的教義上の問題に関する秘密主義への批判に対する教団の新たな決意を反映している。」
「インターネット上でも信頼でき信仰の助けになる安全なサイトでも取り上げられている」

私がこの記事を読んで気付いたのはその類似点です。
現指導部はお父様を見てその過去を消そうとしているのが分かります。
完全無視、説明なしです。若者がネットで見て質問しても「そんなことは知らない。そんな質問はしてはいけない。そんなこと考えないで、ブログも見てはいけません」と取り合わない。お父様が行かなければならなかった路程が恥ずかしいのです。

この小部屋の中にいる(私を無視して下さいと体に書かれた)巨大な像の絵が表すように、話すことが不愉快なこと。現指導部はそこから逃げています。根本的にお父様を恥ずかしく思っているからです。お父様を恥じているのです―お父様の路程のゆえに。
25:24

ここに問題があります。
メシアが来られて皆を感動させ、すべての人が刺激を受けて目を覚ます、などとわれわれは考えがちです。もしそれが事実なら信仰など必要ないでしょう。
明らかに神様から来たと分かるとき彼に従うのに信仰は必要ないでしょう。
そうなれば信仰基台を立てることができませんし、その基台の上に実体基台も立てることができません。

(スクリーンを指して)これが問題の核心です。
六マリアについてのこれらの問題が核心であると思います。
以前すでに六マリアについての講義を準備していました。
2010年か2011年だったと思います。
六マリアについては過去に講義がなされていました。資料を集めようとしましたが、皆逃げ回るのです。「ああ、もうパソコンに資料がありません」などと言って。そこで昔、講義に出た人のノートを手に入れなければなりませんでした。

みなさん、それをどこかに隠して触れないで、とりあえず今は皆を納得させておくことはたやすいことです。
お母様と教会がしているように「隠しなさい!」「これについて話してはならない!」
「問題があるのでその話はするな」と言ってしまうことは楽なのです。その誘惑に駆られます。でも考えてみてください。

モルモン教は200年間にわたって教祖に絡む問題を隠そうとしてきました。今でもその問題に対処しようとしています。決してそこからは解放されないのです!決して消え去ることはありません。
だから私たちに力が無いのです。
私たちがそれに向き合い、直視し、サタンにきっぱりとこれは神様によって定められた路程であり、人類救済のためにその道を神様は行かなければならなかった、そしてその基台の上に今の祝福家庭とお母様が立つと言いきらなければならないのです。
しかしそれを蔽い隠そうとすれば今後200年、2000年の間その問題と闘わなければならないでしょう。
最後の時には勇気ある者が求められます。

我々の信仰に好感を持ってもらうため、友人や近隣、一般社会が喜ぶことを語る者は必要ありません。真の信仰を持つ人が必要なのです。それが簡単だと思いますか。
神様がホセア(預言者)に「行って淫行の女をめとれ」ということはたやすいことでしょうか。
「淫行の地で女をめとれ」と言われたホセアは混乱しなかったでしょうか。
預言者が妻として体を売る売春婦をめとるのですよ。予想できることでしょうか。
ホセアは嘲笑され、嘲られなかったでしょうか。
私たちはあまりにも虚栄心と自己愛に溺れています。
皆から愛されたいとは願いますが人々が神様を愛することを願わない。
かえって自分たちが愛されることを願うのです。それを詐欺といいます。
自己愛です。真理が問題ですか?神様を愛することが問題ですか?それとも自分を愛することが問題ですか?大きな違いです。
あなたはどうですか。神様を愛する人ですか、自分を愛する人ですか。
そこが偶像崇拝と神様への愛の違いです。
神様を神様のまま受け止めますか、それともあなたの願う神様を欲しますか。それが現実です。

強大な世界教会に向けて私がはっきりと言わなければならないかもしれません。
そうすれば目覚めるでしょう。でも私が真実を語ったからといって怒らないで下さい。
内的に傷つけ打ったとしても、あなたが「恥に思う」ことに対する聖霊からの罰、裁きと受け止めなさい。
私ではありません。あなた方を裁く必要が私にはありません。
自分自身と家族そして教会から匿ってきたあなたの恥を聖霊が罪に定めるのです。受け止めなければなりません。
私たちはメシアを待ち望む、そしてメシアが来て教えのとおり理想家庭を築き、祝福を与え、結婚の仕方を教えて私たちが幸せになる。その様子を見て皆が教会を訪れるようになる。それならジョン・グレイ(アメリカの結婚カウンセラー、作家)の所に生きなさい。メシアは必要ではありません。結婚カウンセラ―の下に行って下さい。メシアは必要ありません。

幸せな結婚生活をもたらすためにメシアは来るのではありません。
それが再臨の目的ではないのです。幸せな家庭を作るためでもありません。
世界にそうやって宣伝するのをやめなさい。幸福な結婚のために来られたのでもなければ幸せな家庭のために来られたのでもありません。
メシアはサタンの血統を断つために来られたのです。
サタンの血統を切るために剣をもって来られたのです。それが目的でした。

お父様を結婚カウンセラーの枠に押し込めるのをやめなさい。
お父様は決してそのようなお方ではありません。そんな偽りに満足されるわけがありません。
サタンの血統を切るために来られたのですから。聖書を読んでごらんなさい。
黙示録を見ればメシアが来るとき、あなたの友人や隣人、社会に好印象を与えるために来られるのではありません。サタンを打ち砕くために来られるのです。
そして来られる時、武器を携え「王の王」の印をもってサタンを打ち砕かれるのです。
誰もが喜んで耳を傾ける結婚心理学者を装うことはやめてしまいなさい。
哀れです。サタンを砕くために来られたのです。
人々に好感を与え自己憐憫を満足させるために来られる訳ではないのです。
メシアの仕事は羨ましいものではありません。
誰もがやりたくない仕事です。決して羨むべきものではないのです。
嘲りと侮蔑、憎しみと迫害そして死の十字架への道です。決してなりたくはない位置です。
サタンの種によって世界中を覆っているサタンの血統を神様が断つ最も早い方法はこの世から神様が退くことです。それが最も手っ取り早いのです。

ノアの洪水時のように世界中のすべての人間を殺せばいいのです。
しかし神様はそうしないとノアに約束されました。すべての人間を殺す、それも一つの方法です。
旧約時代にはよくありました。
神の血統をもつ千年王国を確立させる最も早い方法はキリストを送り花嫁を迎えることです。
キリストが全ての女性を花嫁として迎えることです。
そしてすべての女性が子供を産むことです。そうすることでサタンの血統を切ることができます。
これをみなさんが不愉快に思っても私は気にしません。
これがサタンの血統を消し去る最も早い方法なのです。
だからメシアは花婿として来るというのです。メシアはサタンの血統を切る役目をもっています。それを断ちきらなければなりません。神様が被造世界を主管できるよう、サタンの血統を切らなければなりません。

これはいわゆる「所有権の倫理」です。國進兄さんもこれについては以前話しましたが、これは深い意味を持った言葉です。

「所有権の倫理(Ethic of Ownership)」

神様は創造主であり、私を造られた。エレミアが言うように陶工によってつくられた陶器のようなもの。
そこまでは良いのですが、その先の帰結を受け入れることが難しい。
つまり神様があなたを造られたなら、神様にあなたの所有権があるということです。
神様はあなたを造られたと同時に、あなたの所有権をお持ちだ、以上です。
皆さんは神様のものです。天使長の反抗心が私たちに「自分は自分の所有物だと信じせているのです」。
そして神様に反抗する者達は「自分は自分の好きにやる」、「自分は自分のしたいことをする」などし続けて神様に危害を加えるのです。
私たちは真の所有者、そのオーナーシップを理解しなければ、自分の用いる体が実は自分のものではないということが分かりません。
「所有権の倫理」が分かれば、キリストが神として来られる時、妻が実は自分の所有でないことが分かります。妻は彼のものなのです。
なぜなら神様が彼女を造られたのですから!極めて明快です。
そして従順な神の子達に妻として与えてくださるのです。
神様は私たちが神様の愛を表明するために、私たちを通して働かれ、妻を愛するようにと彼女を下さるのです。
神様だけが被造物及び人間に対する所有権をお持ちであるということを知らねばなりません。
私たちを造られたのですから。

ですから自分の配偶者をもつとき、「神様、彼女に親密に接しないで下さい。
彼女は私の妻ですから」と言うことはできません。神様のものなのですから。

神の創造物だというのです。神様の最高傑作です。

神様が彼女を愛する時、創造主でありメシアの立場ですが、私たちはそうではありません。
真に自分の配偶者を愛するならば、私以上に妻を親密に愛して下さい、あなたはアルパでありオメガであるお方なのですから、と言えなければなりません。

神様は彼女たちを私たちが想像する以上に深く親密に、そして永遠に、想像できないほど愛することができます。創造された方なのですから。

ところが自分を神とみなして妻を所有しようとする時、彼女がキリストと親密な関係になることが許せなくなります。
真の所有権は創造主のものです。真の主人、真の師、真の父母とお父様は仰いました。
神様は真の師であり真の主人です。
私たちが御前で謙遜になることを願っておられます。御前に従順に屈服することです。
これは単に象徴的に述べているのではありません。

神様が肉体を持たれてここに居られるとするならば、つまりお父様が居られるとするなら、私の主人(所有者)です。彼の息子です。
そして皆さんの主人(所有者)であり、皆さんは彼の子女です。
お父様は私たちの主人(所有者)です。もちろん単に私たちを所有物として扱うのではなく、創造された神様と一つになった方として、主人として振舞われるのです。
その「所有者の倫理」を理解しなければなりません。
聖書には私たちは聖霊の宮であると言っています。

聖霊の宮である妻をどうして私が所有できるでしょう。
私が妻を愛する時、神様には遠慮して頂いて、後でどうぞなどと言えますか?真に妻を愛する時そんなことができるでしょか?私の言っていることが分かりますか?
妻を本当に愛するなら、神様が彼女と共に住まわれていつも親密でいて下さることを願います。
神様の愛とは争えないということです。

このすべての問題は、お父様についてのより深い理解へとわれわれを導きます。

そのようなお方だったと信じるのか。単なる平和運動家、宗教家として現われ去って行かれたのか。

ソウルでお父様の自叙伝を出版した時のことを思いだいます。
大きな会場で二、三千人の人が集まりました。会場はソウル市内ですがどこだったか覚えていません。リトル・エンジェルスの公演もありました。自叙伝の出版記念会でした。
韓国全国で書店売上No.1にもなりました。その盛大に行われた出版記念式の午餐会の場で、報道各社、VIPもずらりと並ぶ中、お父様のスピーチの番がきました。
するといつものように周りの者たちはお父様にすがりつくように懇願しました。「お父様、どうか15分以内で終えて下さい」「お父様どうか原稿を読むだけにして下さい」「お父様どうかあまり長くお話しになることはお控えください」。
しかし一旦霊的になるとお父様は話し続けられました。
その中で「子の自叙伝には私の生涯の80%しか描かれていません」とおっしゃったのです。
そして4大聖人の妻(相対者)たちを呼んで前に来させました。イエス夫人、ブッダ夫人、ムハンマド夫人、孔子夫人全てです。お父様は自叙伝はご自分の生涯路程の80%しか描いていないとおっしゃり、4大聖人の妻を前に出されました。
皆さんは御存じないでしょうが、それらの婦人は六マリアだった方たちです。誰も悟りませんでした。
そして教会指導者はこれを恥だと思って話そうとしなかったのです。
お父様は「今日、神様を解放しなければならない」とおっしゃって、彼女たちをステージに呼んだのです。私は「ああ、どうしよう。メディアにどう説明すればいいだろう」と頭を抱えました。イエス夫人、ブッダ夫人、ムハンマド夫人、孔子夫人が登場したのですよ。私は当時世界会長でしたからインタビューに答えなければなりません。(笑)

自叙伝紹介、式典、スピーチ原稿朗読、紙吹雪、ファンファーレ、そして食事会。なぜ普通にこの流れでいけないのか。
なぜ六マリアを持ちだされたのか。これは冗談ではありません。深刻な話です。「キリストの花嫁」、祝福家庭に3日儀式を説明した時にも話しました。すべての花嫁はキリストの花嫁なのです。
私たちの妻は私たちのものではありません。
サタンに勝利した神の子として私たちにキリストの花嫁を愛するために下さったのです。

これを知らなかったし、お父様の行かなければならなかった真実の路程を理解できなかった。
メシアとして堕落の血統を清算し、この世を神様の血統で覆い千年王国を築かなければならなかったのです。
考えてみて下さい。他に説明がありますか?誰も説明できないでしょう。
六マリアとは何だったのかまたく分からないでしょう?
むしろ話さないようにして来た。説明できないのです。

唯一の説明は現指導部が最近言い始めた「お父様は肉体的な弱さを持っておられ、いくつか過ちを犯された。それを真のお母様が救済された」というものです。
皆さんにはお分かりではないでしょうが、このことが現在のお母様の問題の核心、根本、根源です。

 お母様がお父さまに嫁がれた時、お父様はお母様に六マリアについてはっきりと説明されました。
そしてお母様はこの路程を歩むことを同意されたのです。
しかし時の流れとともに、数十年が経過するうち、お母様の中で別種の考えに変化していきました。
それは何でしょう?「私がメシアだ」「私がお父様を救った」「私が純潔でありお父様を救ったのだ」ここから現在の「独生女」発言があり、今、お母様はメシア、神になろうとしています。それによって教会が呪われ、崩壊することになりました。

「キリストの花嫁」「三日儀式」を理解することなしにはお父様が歩まれたこの路程を説明することができません。
他に説明があれば、教えて下さい。
あったとしてもせいぜい「お父様も肉体的弱さを持っていた」です。
しかしそれなら神様の弱さを持っていることになります。
神様が弱さを持つというならイエスが神殿の両替商の店を蹴り上げた―ギリシャ語では「壊した」で「ひっくり返す」ではありません―のも、イエスの肉的弱さから思わず怒ってなしたことといいますか。

福音書の外典「ピリポによる福音書」によれば、イエスはマグダラのマリアと唇を重ねたとあります。
これも肉体の弱さと説明しなければなりません。皆さんはどう説明するのですか!
批判はおいて、あなたの説明を聞かせて下さい。
六マリアをどう説明するのですか。六マリア以外の関係をどう説明するのですか。
私はお父様を信じています。説明できないのなら、知らないうちに信仰を失っているのです。

お母様の内でそれが起こったのです。私はお母様を愛しています。   50.10

私は子供ですからお母様が通過してこられた内容、現在の状況をもたらした原因を知っています。
お母様がこの(六マリア等の)問題で苦しんでこられたことを知っています。

お父様の後継者だからといって、私に六マリアは必要ありません。メシアではないからです。
これが他のカルト宗教との違いです。教祖が婚外での関係を持っていたから後継者の自分もそれを真似るというものです。
しかし、お父様はカインとアベルを立てられました。私たちはメシアではないとはっきり分かります。
私に権威の相続をされましたが、それはお父様の使命を完成させる目的のためにではありません。使命はすでに完成されたのです。もはや完成させる必要はありません。
私はメシアでも神でもありませんから、神様が性に関して私に命じられる内容に従います。
私には妻以外の女性は必要ありません。私に必要な女性は妻だけです。妻はキリストの花嫁です。
他の教団、例えば鄭明析(チョン・ミョンソク)の教団―「摂理」とどこが違うのでしょうか。彼は自分をメシアだと宣言し、公然とそのグループの女性達と交わっています。
他にも仏教の教団、またモルモン教など同様の問題を抱えたグループが他にもあります。
それらの教団と私たちとはどこが異なるのでしょうか?
それはお父様の「実」です。
私たちカインとアベル(亨進様と国進様)は自分たちがメシアではないと明確に理解しています。
ですから既に完了した蕩減を払い続ける必要がありません。

私たちはメシアのように神様の種を持って生まれた者ではありません。
原理本体論が教えるように、メシアは血統と種を持って来られます。
神様の血統につなぐためです。
ですからサタンはこの話題を話す私たちを憎むのです。
三日行事の役事を憎むのです。
ここで皆さんにお尋ねします。祝福式の時、三日行事について説明しました。
4月21日でしたが、不思議な四つの虹が現われました。この日この行事についてオープンに話しました。第一、第二日は女性が上位に、三日目は男性が上位、などですが、夫婦間の話なのですから乗り越えて下さい。
皆さんはどこから来たのですか? そして入浴します、夫婦が体を洗います。
聖巾についても説明しました。それで体を拭うのは罪を拭う意味があると思っていました。
実はキリストを身にまとうことなのです。皆さんは罪を洗い流すと思ってこられたでしょう。
イエスキリストを身にまとうのです。何も洗い流しません、キリストを身に着けているのです。
そうして生まれるあなたの子供はあなたの子供ではありません。
神様の子供なのです。あなたの子供はキリストの種から生まれるのです。

三日儀式を理解するなら祝福子女の見方が変わるでしょう。
もしあなたが祝福の子女なら、傲慢になれと言っているのではないですよ。決して傲慢になってはいけません。別に二世の素晴らしさは自分から来るものではないのです。
二世の偉大さはその中に流れる血統か偉大なのであり、その中に込められた力が偉大であるというのです。個人的自己憐憫と一切関係ありません。
皆さんの中にある種の力、神様の種の力が全てです。高慢にするために話すのではありません。
どれほどの人が聖巾はキリストの体をまとわせるということを理解していたでしょうか。
三日儀式を行う時、サタンの血統を断ち、地上での目的を果たすための神様の道具になるのです。
あなたの罪を洗い流すものとだけ思ってきました。違います、それはイエスの血によってすでになされています。イエス・キリストを身にまとうのです。

そして子供はキリストの子になるのです。
分かりますか?あなたの子はあなたのものではありません。
別です。あなたのものではありません。
神様のものです。祝福の子供達、皆さんにプレッシャーを懸けている訳ではありませんよ。
でも自分を知らなければなりません。誰も皆さんに言ったことのないことを言います。鏡を見ながら「自分はお父様の息子だ」とつぶやいたことはありますか?おそらく今までそうしたことはないでしょう。
鏡を見ながら「ああ、私は真のお父様の娘だ」と言ったことがありますか?そのようなことは物の喩えだと思っていたでしょう。
三日儀式の力を知らなかったからです。
三日儀式は「光の武具」です。
サタンの血統を燃やし破壊する「火の武器」です。
三日儀式についてより深く知れば知るほど、天使長(サタン)は怒るのです。
皆さんに知られたくないからです。
女性達に自分がキリストの花嫁、真のお父様の花嫁である事を悟られ、花婿が神の子として自分たちを大切にし、お父様と共に暮らすということ、子供たちはお父様の子供であることを知られたくないのです。それこそ私たちを一つの力、一つの精神、一つの調和に導くものです。

誰もこのことについては話さないようにし、自分も行ってきたこの道について深く考えることなく、普段の生活を続けてきました。
お父様に対するひそかな不信を抱き続けながら、この問題を封じてきました。
直視することなく。自分の由来に対して恥じることもなく。
最後の時、恥ますか?あなたのお父様を恥じますか?
三日儀式を理解する時、お父様があなたのお父様になるのです。血統につながるのです。
神様の血統にです。聖巾に名前を書かないように言われましたね?なぜか分かりましたね。
何故なら、血統の始まりはみなさんの家庭ではないからです。
神様だからです。
お父様は押したり引いたりされながら大きな問題を私たちに与えられたと思います。
いいですか、この問題を解決しない限り、この先何千年もこの問題に付きまとわれることになるでしょう。
子孫が苦しむのです。彼らは私たちの不誠実を咎めてここを去って行くでしょう。
だからこの問題を正しています。これをさせるためにお父様は私を選ばれたのです。
自分が何者であるか真実を理解することが大切だからです。
快適さを脱ぎ捨て深く真実を直視ましょう。
いやいや、これは四位基台で説明できないなどと言わないで下さい。それでは説明不可能です。
とうてい無理です。
四位基台のここにお父様、お母様、六マリア・・絶対に説明できません。
これがサタンが私たちにさせようとしていることです。
サタンは私たちに羞恥心を持たせることで、私たちが何者で、どんな血統から出て、どんな種をもつかについての最も強力な解説をわたしたちから隠す、火の武器を使わずに置いてしまう。
サタンは喜びます。皆さんが恥じるからです。自分を破壊する武器を使わずにいるからです。
だからキリストの戦士たちがここに集まったのです。
私たちはこの良き便りを恥じません。お父様を恥じません。血統を恥じません。六マリアを恥じません。
全ての祝福家庭の基台となったものを恥じることはないのです。
三日儀式も聖巾も、私たちのお父様も恥ずかしいとは思いません。
恥ずかしがりたいのならここに来る必要はありません。

死んだ後、お父様に応対して下さい。私をあてにしないで下さい。あなたが始末して下さい。お父様は私たちを深い所へ導かれ、お父様をそのまま受け入れるようにされました。これこそお母様がお父さまから離れる根本原因になったからです。これが核心です。

子供として見てきたのです。ワシントンDCで、口論されたことがありました。
お母様がこの問題を持ち出されました。そしてお父様を責められました。
「私があなた(お父様)を救いださなければ、異母兄弟が大勢できたことでしょう。」
子供たちはその場にいました。
私たちがお父様にどう言ったかわかりますか?
「お父様、私たちは気にしません」こう答えました。
「全く気にしません。あなたは私たちのお父様であり、お父様を信じています。」
お母様が私が、「気にしていません。私とはかかわりがありません。」と答えるのを見てショックを受けておられました。お母様にとってこれが全てなのです。
そしてその土台の上にお母様独自の神学を築いていかれたのです。
ご自分がレバレント・ムーンを救った。メシアとして肉的弱さを持つ男を救って使命を果たすことを助けた―という神学。
現在のその考えは、お父様が越えなければならなかった愛の十字架路程に対する羞恥心から生じたものです。
だから指導者の誰一人それについては口に出さないし、持ちださないのです。
彼らに聞いても、それに関してよく知らないと答えるのです。
それで満足ならいいでしょう。
私はそれでは満足しません。お父様を売り飛ばし、お父様を恥だとみなさないからです。
お父様はあなたや私を喜ばすために来られたのではありません。
お父様はサタンの血統を断ち破壊するという使命を果たすためにこられたのです。
そして神様の種を植えるために。
それについて祈って下さい。お父様に尋ねて下さい。全ての疑念と恐れや不信、ひそかに恥じていることを祈って下さい。私が嘘を言っているかお父様に聞いて下さい。
なぜ説明がないのか、なぜかくも恥じているのか尋ねてみて下さい。
私は子女としてお父様を恥じたくはありません。恥じることはしません。
いいですか、イエス・キリストの弟子は一人残らずイエスを恥じました。全ての弟子です。
イエスが十字架の死の道を選んだ時、全員が背を向けました。
今の時、最後の時はどこに立つべきか尋ねるのです。オンマも話をしたいでしょうが、少し先に祈りましょう。祈りますか?

前に出て祈りたい人はどうぞ来て下さい。今日は誰かのために出なく、お父様に祈ります。
お父様に祈りましょう。前に出て一緒に立ちましょう。
お父様を恥じる必要はないのだからお父様に祈りましょう。
世の中はお父様を恥じるように仕向けます。しかし、私たちはお父様を信頼しています
。それが力になります。そこにサタンに打ち勝つ力があるのです。
お父様を恥じることがなければサタンは私たちを讒訴できません。
だから天使長(サタン)はお父様を恥じるように仕向けるのです。力を失くして彼らの命令に従わせようとするのです。

<祈祷>

お父様、この日を感謝します。お父様の御心情を解放したいのです!お父様を解放したいのです!
一切、恥じません!もう恥じることはうんざりです!どうか自由になって下さい!私たちのお父様ですから。
お父様はこの十字架の道をお母様と全ての花嫁が「光の武具」の内に立てるようにするため行かれました。
あなたは嘲られ、軽蔑され、中傷される人生を送られました。
あなたの子女である私たちがあなたを掴んで恥じることがなければ、世界を変えることができるでしょう。
私たちの力でなく、あなたの力によって!あなたはあなたが語られた通りのお方であり、私たちの知るままのお方であるからです。
あなたの種が千年王国を成し遂げるでしょう。あなたの栄光はあなたを恥じぬ者の上にあります。
韓国語の聖書ではノアの息子たちはノアの下部を恥じたとあります。
韓国語聖書は明快です。自分たちの起源を恥じる憐れな子女になることのないようにして下さい。
憐れな子女にはなりたくありません!
キリストにあって強い子女でありたいのです。
神様が願われる完全な者になりたいのです。
サタンの要塞を打ち砕く力をお与えください。キリストにある力と権威の上に立たせて下さい。
真実のあなたの姿を見ることを阻む者を私たちに止めさせて下さい。
それがお母様であれ、自己憐憫であれ、すべて押しのけ、恥じないあなたが立つことによって解放されて下さい。
ひそかにあなたを恥じあなたを憎む世界教会の文化にはうんざりです!
虚偽であって、愛ではありません。完全な欺瞞です。サタンを今、非難します。お父様、あなたの力をお与えください。あなたとの関係による力を理解させて下さい。
愚かな指導部との関わりで生まれる力でなくあなたによって生じる力。
この世に来られ、夜の神様から来られたお方、完全な四位基台やジョン・グレイのような教師でなく、サタンの血統を断ち地上天国、あなたの子女、種を広められるお方。あなたの種を受け継ぐものであることを誇ります。
あなたの血によって清められ、庇護されたことを誇ります。
その血はキリストの血であります。
それが罪とサタンの力から私たちを解放してくれるのです。
それを私も持ち、彼らも持っています。お父様、ありがとうございます。
全ての栄光と讃美をお捧げ致します。全ての讃美を捧げます。
あなたを学び知るのではなくあなたを体験したいのです。
お父様と親密に、近くいることを恥じません。恥じる魂を今、打って下さるようにお祈りします。
どうか今打って下さい。あなたに親密で近い子女となることを追求します。
宗教としてではなく実体的な真の関係性を通して。あなたを体験させて下さい。
あなたの神秘的な力を感じ、あなたを体験させて下さい。
あなたと共にいてあなたと共に住み、あなたと同じテーブルにつきたいのです。
神様有難うございます。
全ての栄光をお捧げします。
祝福中心家庭の名で報告いたします。アーメン、アージュ。

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