家庭連合が犯した罪

家庭連合が犯した罪

この度、アメリカ本部に参りまして、亨進様、国進様からたくさんの

お言葉をいただきました。

文字起こしに時間がかかり、ご迷惑をお掛けいたしました。

み言葉を聞いたものとして、

皆様に伝える責任をおろそかにしたものであると、反省しております。

お話の内容が、きつかったり、誤解するのでは?、

と考え少し言葉を変えようとしたことが何度もありました。

その例として、下記のみ言葉を変えたくなりました。

全体の趣旨と異なる内容のみ言葉を削除したくなりました。

適切な場所に移動させた方がよいと考えました。

このような思いは、アメリカ本部に言って

お話を聞くようになってからです。

その誘惑と今も、戦っています。

^^^^^^^^^^^^^^^

祝福家庭と理想天国(1)

祝福と理想家庭

第三章 祝福の意義と価値

第一節 新生の根本原理

4.重生(新生)しようとすれば

新郎となられるイエス様の愛と新婦となられる聖霊の愛が一体となったその愛が、私の骨肉と一つにならなければなりません。すなわち、「わたしがあなたがたにおり、あなたがたがわたしにおるであろう…」というイエス様のみ言のように、愛の心情基盤が成されないでは、キリスト教でいう新生はあり得ないのです。

皆さんも、重生(新生)しなければならないと言いますが、皆さんが重生しようとすれば、イエス様を誰よりも愛さなければなりません。堕落圏内で、すなわちサタンの愛の圏内で築かれるそのいかなる愛よりも、神様を中心として築かれる愛がより一層次元が高くない限り、神様と連結され得る道がないということを知らなければなりません。

これが受難の道であり、宗教者たちの行かなければならない難しい道であるというのです。キリスト教徒たちもイエス様を日々思慕しており、イエス様が再臨されるのを首を長くして待っており、はらわたが張り裂けるほど「新郎イエスよ、来たりませ!」と、二千年間叫んでこなかったでしょうか。しかし、体が裂けていき、胸が引き裂かれ、骨髄が溶けるような立場、体の中にいるのか体の外にいるのか分からない境地、ただ神様やイエス様とのみ通ずることのできる境地に入るようになる時、初めて聖霊が臨むのです。

そうして、聖霊が臨むことによって、霊的な赤ん坊として再生することのできる霊的重生の役事が展開するのです。皆さん、そのような体験がありますか。そのような体験がない限り、まだサタン世界の息子・娘だというのです。まだサタンの讒訴を受ける人間であることを皆さんは知らなければなりません。そのような人は、天国に行くことはできないのです。地獄に行きます。(29)

血統を転換するのはメシヤがするかもしれませんが、転換されるように行動するのは、自分自身でなければならないと言いました。このような基準が成し遂げられない限り、私たちは救いの道に至ることはできません。それは決してたやすく成されるものではなく、死ぬか生きるかの境地を通過しなければなりません。四十日断食祈祷や、血を吐く死の境地に行って初めて、血統転換が可能です。(30)

イエス様は弟子たちに、このように語られました。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」。

サタン世界の生命に未練をもたず、神様のみ旨の前に自分の血と肉と骨がめらめらと燃えて粉となり香りとなって、天地に香気を漂わせるまで神様を愛し、宇宙を愛する人は地獄へは行かないというのです。彼は永遠に生きることができます。(31)

「心と精誠をつくして、主なるあなたの神様に仕えよ」と言われたように、そこには私心がないのです。この言葉は、全体的な立場で公的であり、私的なものは受け入れられないということです。すなわち、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神様を愛せよ」と言われたのが第一の戒めです。これは絶対的な立場で公的であるということです。

絶対的立場での公的という言葉は、「私」がないということです。全体を代表して、それを主体としなさいということです。この世は堕落圏内に入るので、全体を代表する一つの中心存在として神様に侍っておき、絶対的な主体として侍るのです。そこでは、「私」という観念をもってはいけません。「私」という観念をもつようになると、必ずサタン圏内の所有的条件として残されるのです。自分を絶対否定する立場で、絶対主体観念を中心とする外的な物質と体と心が一つとならなければなりません。このような立場で、祭物を捧げなければなりません。(32)

イエス様はニコデモに対して、あなたが新しく生まれなければ、天国に入ることはできないと言われました。今まで生きてきた自分は、どうせ歴史的に否定されなければなりません。いくらうまくやったと弁明して自ら立てておいた何かがあるといっても、「私」自体は、否定されなければなりません。堕落人間であるために、そのような圏内から逃れられないというのです。否定されるべき生涯であり、否定されるべき生活であり、否定されるべき死んだ人生であったというのです。(33)

世界万民は、真の母が現れる前に生まれたので、むなしく生まれたことになります。それゆえ、イエス様に接ぎ木された立場でイエス様の腹中に入り、イエス様が夫婦となった時、聖霊を通して再び生まれなければなりません。偽りの愛によって生まれたため、真の愛を通して再び生まれなければならないというのです。キリスト教で愛を強調する理由も、そこにあるというのです。(34)

イエス様と一体となるには愛以外にはありません。真理でも正義でもありません。生命が存在するのに先立って、愛が必要です。愛は歴史をも飛び越えることができ、距離や空間の支配を受けないというのです。(35)

神様は、愛を中心として創造本然の人間を結合させようとされました。自分の身の苦しみを忘れて、ただひたすら愛を慕い求めなければ、本然の人間へと飛び越えることはできません。(36)

神様を愛し万物を愛する心をもつとき、堕落した愛を除去させることができます。創造本然の人間を追求する程度が、恋人同士愛し合う程度よりも勝っていて初めて発展します。神様を絶対的に愛し、再創造の愛の圏で人格価値を所有しようという目標を立てて前進しなければなりません。

なぜ、そうしなければならないのでしょうか。非原理的愛で堕落したからです。傲慢な愛、自分中心の愛などで堕落したからです。それゆえに、本然の愛である神様の愛をもって初めて、前進することができます。自己の本然の人格完成を望む心が、未婚の男女たちの恋愛する心以上になって初めて、完成基準に上がっていくというのです。サタン的愛を、神様の愛で消化することのできる力がなくては、上がっていくことはできないのです。

それゆえ、神様を敬慕しなければならず、理想的相対として来られる主を敬慕せよと教えるのです。これは、二千年の間新婦の立場で独身生活をし、新郎を待たなければならないキリスト教徒の生活の由来でもあります。このような内容を、キリスト教徒は理解できないでいます。(37)

この世の夫婦が互いに愛し合ったり、父母が子供を愛したり、先烈たちが国を愛した、その程度も神様を愛することができずして、神様の息子・娘になれるでしょうか。神様の真の息子・娘になろうとすれば、まず神様と霊界、地上、そして後孫の前で称賛される者とならなければなりません。

三点が合わなければなりません。三点が結合されて初めて、面積が生じます。二点では線にしかならないので、それだけでは足りません。(38)

神様を信じることができずに堕落したので、救い主を信じて従っていかなければなりません。従っていって何をするのでしょうか。愛の安息所をつくらなければなりません。簡単ではないですか。そして、新郎となられたイエス様と実体的に一体化し、心情一体化しなければなりません。そうして復帰しなければなりません。そのようにして、神様と真の父母と真の子女とが互いに出会う場、すなわち神様が太初より願われたその場がこの天地間にできれば、そこから新しい天地が開かれるのです。(39)

皆さん各自の血統的内容が異なり、背後が異なっているとしても、父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなければなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木したいのなら、皆さん自体に残された蕩減路程をすべて清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通して清算されなければなりません。それで、真の父母に接ぎ木しなければならないというのです。アダムが真の父母になれずに偽りの父母となったために、神様は今まで真の父母を捜してこられたのです。再臨時代に新郎新婦とか、小羊の婚宴というのも、すべて父母を取り戻すためです。(40)

皆さん、精誠も真の父母を通じなくては、考えることができません。国のために地区に出ていって闘い、地区長となって忠誠を尽くすといっても、真の父母を中心としなければなりません。すべてのことは、真の父母の因縁を通さなければなりません。真の父母の因縁を通して苦労し努力し、実りを得て初めて、天のものとして収められるのです。そうしなくては、天のものとして収められません。

それゆえ、成約時代は、侍ることで救われるのです。皆さんは、この世を慕う前にまず父母を慕わなければなりません。それが子供としての道理です。自分の花嫁を先に慕う人に、子供としての資格がありますか。父母のもとで育ち、父母が一番いい、という立場で成長するのが子供ではないかというのです。これが原則です。

将来、祝福を受けても、相対との因縁はあとで結ばなければなりません。まず、父母を慕わなければなりません。父母がいなければ、昼も夜もこの世もなく、自己の存在価値がないかのような気持ちをもたなければなりません。父母に対する思慕の心情と敬慕の心情が、皆さんの生活のすべてを占領しなければならないのです。それでこそ、天の息子であり、娘だと言えます。

そのような生活過程を通過したそのあとでこそ相対、すなわち妻なら妻、夫なら夫を迎えることができるのです。そうしなくて、どうして夫を迎え、妻を迎えることができるでしょうか。

まずは、父母を心から慕わなければなりません。私の生命の動機も父母であり、私の望みの一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母であるという基準を中心として侍らなくては、救いを受けることはできないのです。皆さんは、そのように侍ってみましたか。偽者のようですね。皆さんはこれをはっきり知らなければなりません。

それゆえ、皆さんは「私は真の父母と永遠に一つとなり得る息子、あるいは娘だ」という信念を、自身の存在意識を超越することができるぐらい固くもたなければなりません。そうでなくては、いけないのです。(41)

真の父母に侍るには、一人ではいけません。男性なら男性、女性なら女性、自己の相対的な存在がいなければなりません。もし一人であるときには、父母の前に、その何かを報いることができ、捧げることができなければなりません。それによって初めて、皆さんは父母の愛を相続して、自分たちの後孫に血統的因縁を連結させることができるのです。血筋を通して、このような因縁を連結させることのできる価値的内容が決定されるのです。このように愛の土台を基盤として真の父母に侍ることができるのです。このように血統的な相対的価値を基準として真の父母に侍ることができるのであって、そうでなければ侍ることはできないのです。皆さんはこれを知らなければなりません。(42)

統一教会の信仰は、自分が神様の息子・娘であることを実感するところから出発します。これは、神様の愛を中心として子女の立場を復帰することです。(43)

真の孝子女となりたければ、父母の心情を通過すべきなのです。統一教会に入ってきて先生を知りたければ、先生の心情的世界に入っていかなければなりません。

責任者たちや伝道師たちがこのような心情に入って、道を行きながら一日のうちに何度も、我知らずに神様の心情に息が詰まって、とりとめようもなく痛哭する境地を体験するようになれば、その教会はすべての事がうまくいかざるを得ません。(44)

精誠を尽くす心情の世界では、先生と皆さんは一つとなることができます。心情の世界ではすべてが一体となれます。心情は距離を超越し、環境を超越し、歴史を超越するからです。時代を短縮させることもできます。

ですから、皆さんは先生と同じ立場に立たなければなりません。先生が悲しめば、皆さんも悲しまなければなりません。呼吸を一つにしなければなりません。先生が息を吐けば皆さんは息を吸って、先生と一体となって、拍子を合わせていかなければなりません。(45)

皆さんも、難しいけれど復帰の道を行っています。このような道を行っているのは、皆さんであれ私であれ、神様を知ったからです。不平があり恨みがあるとすれば、神様を知ったという罪しかありません。それゆえ、恨むことはできません。それは悪いことですか。神様を知らないためにすべてが滅んでいき、共産党がこの世をのみ込み、キリスト教が全部崩れていっているにもかかわらず、神様を知ったことが罪なのかというのです。どんなに悲惨であっても、この道が貴い道であるので行かざるを得ません。どうせ、すべてのものが崩れていくからには、死ぬほど忠誠を尽くして立派に行こうというのです。(46)

真理を探求するにおいても同様です。既成教会のように聖書を読むからといって済むものではありません。どれほど膨大なはかりではからなければならないか、考えてみなさいというのです。実験する人が、あれこれ持ってきては合わせてみるように、真理や原理を探り出していくのです。それを考えれば、先生は多くのことを発見したことになるのではないですか。(47)

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