姜賢實先生の自叙伝

シャボン玉のブログさんより引用

姜賢實先生の自叙伝

・ 第三章・その1 死んでも統一教会の鬼神

▲ ペンシルベニアを訪問した韓日の食口たちにお話しされる姜先生

第三章 超教派の最前線で
宗教和合の道、超教派
 死んでも統一教会の鬼神(きじん)
※鬼神(귀신):死者の霊、人に福や災いをもたらすという神霊

私は1952年にお父様にお会いして、60年以上公的な生活をしてきました。静かに考えてみると公的な生活を確かに長くしました。そのせいか公的な生活をしている牧師や公職者や献身者を見ると胸が詰まることが多いのです。その方を見るといつも頭が下がります。なぜなら、献身しながら生きてきたこの道がどれほど大変で難しく寂しいかを、誰よりも私がよく知っているからです。

彼らは父母を後に残し兄弟を後に残して友達と故郷を離れて献身して生きてきたはずです。今も彼らの父母は風の便りに誰かのうわさでも聞こえてきたら、家を出て行った息子や娘が帰ってくると思って耳を傾けるのです。外的には相変わらず統一教会に通う子に反対するのですが、内心では、いつも子供を待ちながら、愛しているのです。

私も彼らと同じく公的な生活をしてきました。平凡で弱い者なので、実際一人では何もできなかったのに、お父様が公的な道を行くことができるようにして下さいました。そして、いつも神様が共にいて下さって、今までこの道を来ることができました。私のように統一家の食口たちは皆、神様が共におられることを確信せねばなりません。生活のために形式的に儀式的に生きてきた人々ではないことを信じます。制度に縛られて、この道をしぶしぶ行っている人は誰もいないでしょう。私もまた長い歳月の間、一瞬たりともそのような心構えで公的な生活をしたことがありません。

私が入教して13年になった時、お父様は、「姜賢実、あと三年だけしたら少し休まなくちゃならないだろう?」と言われました。私は、タプコル公園で渾身(こんしん)を尽くして講義をしていたところだったので、その言葉が嬉しく感じられました。それで、三年待ちました。しかし、四年が過ぎてもお父様は何も言われませんでした。「お父様、あの時私に三年だけしたら休ませてやると言われましたが、これで四年近くになります。どうされますか?」と尋ねました。

すると、お父様が、「世界で最も悲惨な人は仕事がない人だ。することが多いということ自体がどれだけ福があることか知らねばならない。一度遊んでみなさい。じっと家の中に入って座っていてみると、どれだけ退屈して息苦しくて意欲もでず悲惨かわからない。
だから、公的に仕事ができること 、仕事をすることが幸せだ」と言われました。

その御言葉を聞いて、「お父様!健康が許す限り、できる力がある限り、御旨のために生きていきます」と答えました。するとお父様は、「そうだとも。それでこそ姜賢実だ!」ととても喜ばれました。だから、御旨の中に身を投じて生きてきた私の人生を考えたときに、「私は死んだら鬼神(きじん)になったとしても、統一教会の鬼神になろう」と思いました。

姜賢實先生の自叙伝

・ 第三章・その2 閉ざされた心を開く超教派の道

■ 復帰されたエデンの苑 天宙清平修錬苑 より一部抜粋

清平聖地の由来

清平聖地は、真のお父様が1965年、漢江(ハンガン)を遡(さかのぼ)られながらテントを張り、精誠を尽くし始められることから始まりました。

真のお父様は当時、坂になった桑の木畑だった現在の天宙清平修錬苑の敷地を買いとられ、1971年6月17日、初めてツルハシを入れられ建築工事が始まりました。元聖殿の工事は当時、キリスト教牧師招請原理公聴会を開くため、急ピッチで着工されました。

真のお父様は当時、キリスト教牧師を清平修錬所に招待し、神様が創造された原理と摂理を伝えるために計画され、まだ発令の出ていない教会長と共に、1971年6月17日、元聖殿の建築工事が始められました。

当時建設された元聖殿は真のお父様の指揮のもと、悪天候にも関わらず基礎工事後わずか2週間で完工され、キリスト教牧師招請原理公聴会は計画通り成功裏に行われて、神様の御言を伝えることができました。

・・・・

今となっては、荒稼ぎの代名詞と共に、独生女王国と化してしまった清平の姿をご覧になり、 神様とお父様の心情はいかばかりであろうかと、胸が苦しくなりました。

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第3章  超教派の最前線で
宗教和合の道、超教派
▲閉ざされた心を開く超教派の道

1974年10月7日から超教派のキリスト教協会の仕事をするようになりました。李載錫(イ・ジェソク)会長の下で仕事をしました。李載錫(イ・ジェソク)会長は忠清道(チュンチョンド)両班(ヤンバン=貴族)の家の後孫らしく、人の嫌なことを言わず、常に人の心を安らかにしてくれる方です。

<参照>
李載錫(イ・ジェソク)会長の礼拝で出た『アボジの涙』 – シャボン玉のブログ

その時は私が入教してから22年目になった年でした。22年の間に宣布と開拓、そして伝道の使命を果たしました。そして、その時から1996年6月までの22年の間、超教派キリスト教協会で働きました。事実、既成教会と統一教会が一つになることはあまりにも重要なことです。お父様は統一教会と既成教会を一つにするという御旨を持っておられました。既成教会の信者は上から下まで、すなわち、牧師から平信徒に至るまで、どうしたらそのように一様に統一教会に反対することができるのか、彼らは統一教会と言うと、ハンセン病患者よりも恐れながらびっくり仰天して驚きました。

統一教会の信者に会って話しただけでも、地獄に行くかのように思ったりもしました。
私は彼らが心を一つにして反対するのを見て、信じられないほど驚きを感じたりもしました。彼らは一様にそのような心を持つのは何か秘密が隠されているようでした。

超教派運動をしながら、多くの牧師たちに会いました。韓国キリスト教教会協議会(NCC)の総会長から老会長と総務まですべて会いました。大部分の牧師は、統一教会と言うと、まったく会ってくれないので、会うまでは統一教会という言葉を言うことができませんでした。徐々に会って話をしてみると、統一教会であることがわかるようになります。すると、その場で立ち上がってお茶も飲まずに矢のように去ってしまう人がたくさんいました。

その反応も人によってさまざまに違います。ただ黙って席を去る人もいるし、悪口を言う人もいるし、水をかける人もいます。すると、私はそのまま何も言わず、ただ顔いっぱいに笑みを浮かべて座っています。相手が悪口を言っても水を浴びせても気にせずに、ただ笑って対するのです。

そのたびに私は、イエス様が思い出されるのです。イエス様は神の子であり、真理の本体でしたが、最も信仰深い祭司や書記官、そして律法学者たちから追われて、異端の怪物の烙印を押されました。そのような人々を見て、イエス様がどのくらいもどかしかっただろうと考えると、私が受ける侮辱と非難は何でもないという気がします。

ある時、私にひどく悪態をついていた人が、私がただ笑っているので、「ああ、あなたは本当に信仰をする方です。私はまだ血気が残っていて、このようにあなたに我慢できず憎んでいます。私は牧師ですが、偽物です」と言って屈服したこともありました。

超教派運動をしながら、統一教会という看板のために、良い御言葉を話しても最後には不信されたり、無視されることがたくさんありました。私はクリスチャンたちを説得もし、説教もして、ある時は真心から泣きながら、神様に彼らの目を開いてくださり、心の扉を開いてくださるように祈祷を捧げました。

ある時は、「どんな方法を使ってでも統一教会をなくしてやる」と大声で悪態をつきながら飛びかかってきた牧師がいました。彼は牧師でしたが、形式や儀式や制度にとらわれて牧会をしていました。そのような牧師でしたが、私は祈る気持ちで、彼に神様の心情と御旨そして事情を説明してあげました。神様の立場で牧師を見たら、どれだけ胸が痛むことだったでしょうか?私は痛憤(つうふん)のあまり、おいおい泣きたいほどでした。

そんな切実な心情を持って、「神様の摂理的な方向がどうで、また、どこに向かって動いているのか牧師様はわからないのです」と言いながら、原理公聴会に参加してみるように勧めました。すると、意外にも彼はすまないと言いながら、「では、ちょっと聞いてみましょう」と原理公聴会に出席しました。

二泊三日の間、御言葉を聞いた後、彼の反応は180度変わりました。
彼は「統一教会は驚くべき教会であり、神学校で言うことのできない、組織神学の深い面を備えているようです。原理の御言葉に頭が下がります」と言いました。そして夕方懇談会の時間に彼は、「統一教会は今後絶対に滅ばず衰えもしないようです。驚くべき御言葉が体系化されているので、末長く残ることができるでしょう」と言いました。
たとえ牧師ただひとりであっても、統一教会に対して絶対的な立場から原理の御言葉の前に屈服したことが私には夢のように感じました。
結局、原理の御言葉の前に、世界の多くの牧師たちが頭を下げるようになると思うと、新たな希望で心が膨れ上がりました。最終的には御旨が成就するだろうという喜びも生じました。

超教派連合運動をしながらやりがいをたくさん感じました。初めて牧師に会う前は、統一教会員であるということを言いませんでした。それを明らかにすれば会うことすらできなかったからです。会って話をして、自然にお父様の人生や信仰そして原理の内容を紹介すると、徐々に聴く人の顔色が変わってきました。話を始めて10分、20分、時間が経つにつれて心の門が開くと、自然に納得していくように見えました。

必ず一度は会って御言葉を伝えねばならないと思っていた牧師がいました。
その牧師は長老教会の総会長を務めた人で、他の牧師たちから多くの尊敬を受けていました。それで電話をかけて、「今日、私は礼拝に行こうと思うのですが、教会の場所を教えて下さい」と言いました。すると、牧師は親切に教会の位置を説明してくれて、「必ず礼拝に来て下さい」と答えてくれました。

教会の場所は当然知っていたのですが、次に会う約束をとるために、わざわざそのように電話で因縁を作りました。日曜日に礼拝に参加して挨拶をした場で、「私と昼食を一緒にしましょう」と勧めました。そして、食事をしながら話を交わしてみると、金永雲(キムヨンウン)先生ともよく知っている仲でありました。そのように会話をしながら、その牧師と友達になったのです。

総務牧師も出てきて話をした後には、かなり親しくなりました。ところがある日、「ああ、姜先生!もう(統一教会を)やめて長老教会に戻ってきて下さい。長老教会に姜先生のような人がいればどれほど良いでしょうか?すぐ帰って来て下さい」と真剣に言われたので、私が笑ったことがあります。

後には、呂英秀(ヨ・ヨンス)部長が超教派協会に来て講義をしました。その講義を録音してたくさんの人々に配ってあげたりもしました。1983年の初めから私は毎週火、木、土曜日の3回、既成教会の信徒たちを相手に御言葉を伝えました。その時、説教した原稿が、今でも何箱か家にあります。録音したテープもたくさんありましたが、長く経って使えなくなりました。誰かが私に、その説教を集めて説教集を出すように勧めたこともありましたが、真(まこと)の生命の御言葉であるお父様の御言葉があるのに、不足な私の説教を集めて説教集を出す必要はないと思い、集めておくだけにしました。

最初は、「クリスチャンのための聖書講解」という名目で始めましたが、2年ほどの歳月が過ぎると、どういう御言葉を伝えても受け入れるほどに、参席者たちとの信頼関係ができていました。私は彼らに御言葉を伝えながら、お父様が私たちを前にして、血と汗と涙を流されて御言葉を語られたその姿を思い浮かべながら、精誠を尽くし熱意を込めて説教しました。すると、彼らは心から大変な感動をして喜ぶのでした。

ある牧師の夫人は、「姜先生の講義を聞くと、本当に恵みがあります。堪え切れない熱さが感じられます」と言いました。ある勧士(クォンサ)は、「原理の御言葉自体に生命力があるので、姜先生の御言葉にさらに大きな恵みがあるようです。原理の御言葉は普通の人が書いたものではなく、神の特別な恵みを受けた方が記録したもののようです」という証もしました。

御言葉に感動した人々は、超教派の精神を既成教会の重鎮たちに植えつけるために努力しました。そのように熱意を尽くして身悶えする人々を見たときに、今は時がいくらも残っていないという気がしました。私はそれらの人々からあまりにも大きな愛を受けました。何着もの服も贈り物され、家に贈り物を送ってきたりもしました。私はそのようなことがあるたびにお父様にご報告差し上げながら、「すべての栄光と感謝は、お父様が受け取るべき栄光です」と言いながら頭を下げました。

既成教会の信徒の多くは、「姜会長は、神様の御言葉と一体となっておられるようです」と言いました。実際には、私は神学者でもなく、キリスト教の専門家でもないので、御言葉を語るために多くの準備をしなければなりませんでした。御言葉の内容の準備もたくさんしましたが、それよりも御言葉を語るための祈祷と精誠をささげるために、もっと多くの時間を費やしました。参席者が既成教会の信徒や霊的な人々だったので、私が少しでも他のことを考えたり、準備が不十分ならば、統一教会が悪口を言われて、その影響がお父様に及ぶようになるからです。彼らが私を通してお父様を感じるようになると思いながら、すべてのことに気をつけるようになりました。

姜賢實先生の自叙伝

・ 第三章・その3 初めてもらった給料袋に泣く

第3章  超教派の最前線で
宗教和合の道、超教派
▲初めてもらった給料袋に泣く

ルカ 10章7節
それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。
働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。

テモテ第1 5章17節
よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは
二倍の報酬を受けるにふさわしい。

超教派キリスト教協会にいた時のいくつかの逸話が思い出されます。
超教派キリスト教協会で一カ月働いて事務所で給料をもらいました。袋を開けてみると一カ月の給料が1万5千ウォンでした。それまで私は一度も給料をもらったことがありませんでした。22年間お金は一銭も貰わないで暮らしてきたのです。タプコル公園で講義するときは青坡洞教会に住み、1カ月分の電車の回数券と風呂券4枚をもらいました。それをもらったのが全部でした。そのように暮らしても、季節ごとに着る時は着て、また食べる時は食べて暮らしていました。もちろん、たっぷり食べ、いい物を着ていたわけではありませんが、生活に不便なく暮らしていました。

しかし、初めて給料をもらったのです。その給料をもらったら涙がいきなりあふれました。「今まで私は私の全体を神に捧げ献身して生きてきたのに、このお金を受け取ると、これから献身するのではなく、月給取りになるのではないか?これを受け取ると、私は仕事の対価をお金で受けることになるのだから、私がなした功績はすべてなくなってしまうのだ」と報酬のために働く生活をするような気がしました。

22年の間献身して給料をもらったら、お父様が保護して下さった生活が終わって追い出されるような気までしました。限りなく悲しい気持ちになって、祈祷室に入って痛哭(つうこく)しながら泣きました。心が少し落ち着いた後、神様に、「どうすればいいですか?」と祈りました。すると、使徒パウロの聖書の御言が浮かびました。「仕事をした人が報酬を受けるのは当然である。飢えては働くことができないので、最小限の報酬は必要である」という内容でした。

その聖句が浮かんで「ああ、そうだ!これまで私は教会に住み、公的に世話になって生きてきたけれど、これからは公的に世話にならずに生きなければならないな」と思いました。その次から、教会から出て暮らしました。

実際には、その給与は、私の役職にしては少ない額でした。超教派協会で私は婦女局長でありました。しかし、部長より給与が少なかったのです。それで、姜部長という方が冗談でいつも私に、「姜課長、姜課長」と言ってからかいました。自分より給与が少ないため局長はなく、部長の下で働く課長という意味でそう呼んだのでした。
私自身は給与に関心がないので、どのくらい給与の差があるのかわかりませんが、その人がそう言うので、そうなんだなと思いました。

だから、私はある日、姜部長に、「公的に献身するとき、給料をたくさんもらうのはいいことではないですよ。私は実はこれよりも少なくもらいたいのです。今働いている報酬をすべてもらってしまうと、霊界に行ったら何ももらうことができません。今働いたものより少なくもらってこそ、霊界に行ったときにもらうものがあります。だから、公的な生活をするときは、給与をもらわないのが一番良いのです。でも、避けることのできない生活問題があるので、最小限のお金だけもらうことが良いでしょう」と言いました。

すると、姜部長が、「局長は、いつも神様のようなことばかりを言われますね」と言って、一緒に笑ったことがあります。

姜賢實先生の自叙伝

・ 第三章・その4 私はその家の管理人

第3章  超教派の最前線で
宗教和合の道、超教派
▲ 家を買って下さったお父様

1976年のある日、お父様が呼ばれるので行ってみると、お父様がお母様に、「通帳と印鑑を持って来なさい」と言われました。お母様は通帳を持って来られると、私に通帳と印鑑を渡しながら、「これは、お母様が聖婚式の後、今まで少しずつ貯金したお金である。このお金を持って家を一軒買いなさい」と言われました。私は突然のことで驚きもしましたが、お母様が預金された通帳をいただくことが恐れ多くてどうしていいかわかりませんでした。

「お父様、私がどうしてこの通帳に手を出すことができるでしょうか?できません。そのお金でどうして家を買えますか? 私はこれだけはできません」と言って辞退しました。
するとお父様は、「その家でもっと熱心に仕事をすればいいじゃないか?」と言いながら続けて私にそのお金で家を買うように言われました。

私が引き続き言うことを聞かずに辞退するので、お父様は、財団事務総長を呼ばれました。「姜賢實が私の言うことを聞かないので、おまえがこの通帳を持って行って家一軒を買ってあげなさい」と言われるのでした。李秀卿(イ・スギョン)事務総長も、「お父様、なぜその通帳で家を買うのですか?私たちの財団からお金を出します」と言って、その通帳をお母様にお返ししました。

財団では、二村洞(イ-チョンドン)に部屋が3つあるアパートを買ってくれようとしました。しかし、契約をする前日の夜、私は頭が痛くて心配になって眠れませんでした。
それでアメリカにいらっしゃるお父様に手紙を差し上げました。

「お父様、私が家を買う代金を頂いてから心が地獄です。心が一つもうれしくありません。それどころか、家を買うべきか買わざるべきかでとても悩んでいます。私が長年献身したことが、この家一つをいただくことですべて無に帰してしまうような気がします。これまで私が献身したことがすべてなくなるようで虚しいだけです。公的に働いた功労がすべて塵のようになくなるように思えて、どれだけつらいか言い表すことができません」と書きました。

崔元福先生が私の手紙をお父様に読んで差し上げたそうです。しかし、お父様の態度は変わりませんでした。「その家でもっとよく働けばいいのだ」と言われたそうです。

私は心が苦しくて、数日間悩んで祈りを捧げました。すると、祈りの中で「この家を公館として使えばよい」という考えが浮かびました。「私が個人的にこの家を使うのではなく、公的な家として使おう!伝道のための家としてこの家を使えばいいんだ」と思うと心が楽になりました。その背後で、私は家の所有者ではなく管理人だと思いました。

姜賢實先生の自叙伝

・ 第三章・その5 26日間のアメリカ巡回

第3章  超教派の最前線で
宗教和合の道、超教派
▲ 26日間のアメリカ巡回

1980年6月27日金曜日10時30分、JAL機便で日本に到着した後、アラスカを経由して英国に立ち寄り、7月4日、米国に到着し、真の父母様にご挨拶差し上げると、私が入教したときと同じように夜を明かして御言葉を語られました。ボストンで2カ月間過ごしたのですが、お父様は毎日早朝に海に出て精誠をささげ、魚を釣られました。

当時、日本を開拓した崔奉春(チェ・ボンチュン)先生がボストンに訪ねて来ました。彼はお父様に自分の人生のすべてを報告するために来たといいました。息子が不慮の事故に遭ったのに、一緒にいた他の子供たちは大丈夫だったと言いました。自分の息子だけが事故に遭うのを見て、これまで生きてきた人生が間違っていたと反省してお父様を訪ねてきたと言いました。崔先生は、お父様の前で頭を下げて悔い改めたいと言いました。そうして、私にこれまでの人生を悔い改めながら、何をどのように間違って生きてきたのかを告白しました。崔先生は、お父様の靴を磨きながら一番底から再出発したいとも言いました。

私はお父様に崔先生が訪ねてきた事実を報告しました。お父様はその報告を聞いて、私が喜んだよりももっと喜ばれながら「本当か?」と何度も聞かれました。私もうれしくて、「はい、事実です」とお答えしたのが今でも記憶に残っています。

そのように崔先生に関するご報告をしたとき、父母が子女を愛し心配しているのと全く同じなお父様の表情を見ました。その表情を見ながら、お父様がどれだけ崔宣教師を愛しておられるのかを感じることができて、大きな感動を受けました。

ある日、お父様が網を触りながら、「今回来たついでにアメリカ旅行もして世界旅行をしに行こう」と言われました。そうして、「今でも世界各国で、一日のうちにも飢えて死ぬ人々が数え切れないほど多い。私がこの問題を解決するために、フィッシュ・パウダーを開発しているが、誰もこれに関心を持つ者がいない」と語りながら、寂しい表情をされました。

そして、「この地上で、誰かが人類の内的な心霊問題と外的な飢餓問題を解決しなければならない」と語られながら、「賢實(ヒョンシル)、おまえはこれを知らねばならない。私は釣りが好きでするのではなく、人類を生かさねばならない目的があってするのだ」とおっしゃいました。また、「世界を一周り回ってみれば、見聞も広くなり、世界がどれほど大きく美しくて、人類の喜びと痛みがどれほど深いのかを感じるようになるだろう」とおっしゃるのですが、父親が娘に何か重要なことを教えてあげようとするような、切実な心情で言われたことが感じられました。

時にはお母様と買い物もしました。真のお母様が六歳になられた年に、啓示を受けた人がお母様に対して、「将来、人類の母、天の花嫁になるだろう」と予言したという話を誰かから聞いたことがあります。その予言のように、米国でお母様と近くにいる間、お母様は世界の母であり、天宙の母であることを痛感するようになりました。

1980年9月3日から28日まで26日間、米国一周観光をして巡回もしました。一行は李貞玉(イ・ジョンオク)先生、李京埈(イ・キョンジュン)先生などでした。お父様が旅程を直接組んで下さるのに精誠をたくさん尽くされました。アメリカ旅行をする時にはすべてのものを欠かさず見なければならないと言われました。

お父様が言われたように、米国という国は、行けども行けども終わりなく広かったです。一日に三千里を走ったこともありました。低い山に出ると、数十時間走っても同じように美しい低い山なので感動しました。

一番印象に残ったのは、ユタ州で訪れたモルモン教です。イエス様の写真が壁一面をすべて覆うほど大きくかかっていたのですが、たくさんの旅行者がアメリカに来れば、ユタ州のモルモン教の本堂を観光していくのが基本のコースになっていました。そこでたくさんの話を聞いて、人々が祈っている姿を見ながら深い感銘を受けました。

<参照>
ユタ州ソルトレイクシティへ旅行に行ってきました。その4「モルモン教の総本山」 : ロクデナシ ヒトデナシ ヒトゲノム(カリフォルニア州San Diego・ユタ州Hurricane)

姜賢實先生の自叙伝

・ 第三章・その6 世界巡回

第3部 超教派の最前線で
宗教和合の道、超教派
▲貴い恩賜(おんし)で世界巡回をする

1980年には、真の父母様の貴い恩賜で世界を巡回することになりました。アメリカに来てから3カ月後に、真の父母様は、私が韓国に戻るときにヨーロッパ、アジアを回って行くようにと言われました。それで、1980年10月5日、ヨーロッパに向かいました。ヨーロッパに到着し、アジアまで巡回して韓国に戻ったのは11月30日でした。

約2カ月の間、巡回をしながらたくさんのことを感じることができました。特に真の父母様が1960年に世界巡回をされた時だけみても、食口が一人もいない国が多かったのですが、たった20年後に全世界のどこを訪れても食口がいるので、その間どれほど真の父母様が苦労されたのかを推測することができたのでした。

当時の旅行の一日のスケジュールは、どんなに夜遅くに寝ても、翌日午前6時、遅くとも7時には祈祷会で始まるというものでした。行く先々で食口たちが大変な歓待をしてくれるので恐れ入ることが多かったし、それにどうやって応えてあげればいいのかわからないほど、重い負債感を残すことが多かったのです。幸いなことに、真の父母様の心情と生涯に関する御言葉を話してあげると彼らは多くの恵みを受け感謝されたので、少しでも心の荷物を減らすことができました。全世界の食口たちから受けた愛が私にとって負債にならないように、今一度、熱心に努力しなければならないという決心をしました。

そのように巡回した場所の中で、イスラエルは今でも記憶に残っています。11月5日、パウロが伝道した歴史が込められているコリント市に到着したとき、彼らが使っていた共同浴場とトイレを見ることができました。また多くの神殿もありました。その時代に生きていた人々には敬拝を捧げて仕える習慣があり、石を削って立てて置き、それに敬拝を捧げたりしたという話を聞きました。大理石で築いた神殿がたくさんありました。今ではその土台だけが残っており人は住んでいません。テサロニケもやはり地震で土台だけが残っていて、人は住んでいませんでした。

 ▲コリントスのアポロン神殿

エルサレムを出発したのは翌日の11月6日の夕方でした。エルサレムに到着すると不思議な思いが湧いてきました。昔、イエス様がここを中心として、ユダヤ民族に福音を伝えながら説教したところだと思うと、感慨が実に深かったのです。その日は夜遅くまで眠れませんでした。

翌日の11月7日の朝に最初に訪れたのは、ナザレ教会でした。教会には、マグダラのマリアと姉妹の肖像画が飾ってありました。イエス様が亡くなった後、マグダラのマリアがあまりにも悲しんだという聖書の一節が思い出されました。この教会は、アラブ人が主管する地域に位置していました。

その次にラザロの墓に行ってみました。ラザロの墓はよく装飾されており、多くの観光客が往来するところでした。

<参照>ザラロの墓の写真 http://4travel.jp/travelogue/10672855

そしてエリコ城に行きました。昔、イスラエル民族がエリコ城を陥落するため七回もそこを回ったことを考えました。そこから40日間イエス様が断食をして3大試練を受けたところも行ってみました。山が乾燥し、草一本もありませんでした。2千年前にここで多くのあざけりと嘲弄を受けたイエス様を思うと、不憫な思いがして、霊界で協助してくれることを祈りました。そして、ナザレに行く途中でヨルダン川を見たのですが、とても小さくてまるで小川のようでした。

イスラエルで食口のおじいさんに会って、集団農場を案内してもらいました。1922年に集団農場を始めた時には一本の木もない荒涼とした土地だったのですが、今まで心を込めて育てた結果、今は多くの木がありました。美しい花壇や病院、プール、遊び場、会議場も用意されていました。そこで暮らす人は、食事や衣服、医療費、旅費まで保証され、お金が必要ない楽園に住んでいると言いました。村の住民は千人あまりで、毎日集団農場で仕事をしていると言いました。集団農場の託児所や劇場、そして博物館を見学し、イスラエルの伝統や生活を描いた村の絵なども見ることができました。

それから、イエス様が山上の説教をしたところに行って見ました。今はイタリアで主管しているカトリック教会が建てられていて、ガリラヤの海側の丘の上にありました。

また、イエス様が五つのパンと二匹の魚で五千人を食べさせたところにも訪ねて行きました。そこでは都市がモザイクになっていました。ガリラヤの海辺に行って、イエス様が魚を取ったところも行ってみました。

機会があればもう一度行ってみたかったのですが、今になっては、また行くことが難しくなってしまい残念です。

その時の巡回中に、久しぶりに会った食口たちもいました。世界のあちこちで宣教をする食口たちに会えば、夜遅くまで話をしたりしました。そんな日は早朝2時過ぎてようやく寝ることができました。それでも韓国を慕って真の父母様の近況や心情を聞きたいという食口達がいるので、心の片隅でありがたく感謝に思いました。

<参照> 公衆浴場と公衆トイレの写真も出てました。^^
ロポネソス半島2 コリントス遺跡7 レカイオン界隈 

中央のアゴラの東端から延びるのは②レカイオン通り。 『ギリシア都市の歩き方』は、 この大通りは、その幅が7m50㎝あり、北に向かって緩斜面を約3㎞下り、その途中で市門を越えてレカイオン港に至る。遺跡の中で発掘されている通りは、わずかに100mに過ぎない。その表面は、切り…

https://hulule-hulule-voyage.blogspot.kr/2013/08/blog-post_14.html

姜賢實先生の自叙伝

・ 第三章・その7 お父様がくださった大きな祝福

第3部 超教派の最前線で
宗教和合の道、超教派
▲お父様が大きな祝福をして下さった

超教派キリスト教協議会で仕事をしている時、お父様が私に大きな祝福をして下さいました。ある日お父様が私を呼ばれていると聞いて、漢南洞(ハンナムドン)に行きました。
私が到着すると、お父様は食事をされていました。
それでご挨拶をすると、「姜賢實、ちょっとこっちに来なさい」と言われました。

それで、お父様の前に行くと、「これからお前が信じた通りになり、言った通りになり、思った通りになり、考えた通りになり、行ったとおりにすべて成就するだろう」と祝福して下さいました。あまりに突然のことなので、私は感謝の敬拝もろくに捧げられずに出て行きました。出てきて震える胸を落ち着かせようと、横にいた777家庭のある夫人にその話をすると、その夫人は、「ああ、巡回師さん!それはただの恵みではありません。今からは巡回師さんが思った通りになるでしょう」とうらやましがりました。
その日は実に不思議な気分でした。

ところで、次の日の夜に超教派の会員であり、長老教会の某執事が電話をかけてきました。その電話を受けると、声がちょっと変でした。「姜局長、私とちょっと会って下さい。明日どうしても会わなければなりません」というのでした。「明日は時間がないのですが」と言うと、「いけません。明日必ず私と会って下さらなければなりません」と、頼むのです。それで、他のスケジュールを調整して、次の日に会う約束をしました。

「何事があって私をそのように探すのか?」という思いで、約束はしましたが何か気持ち良くありませんでした。電話をしたその執事は超教派の集会に出てきても、常にトゲのあるような不信な態度で、「統一教会がどうだっていうんですか?文先生は本当にそんなにいい方ですか?」というふうに話をする人でした。だから、いつも私はその人を見ると気分が良くありませんでした。

次の日、待ち合わせ場所に行くと、その執事の顔が全く変に見えました。口が曲がってしまっていて印象が違いました。「いや、これはどういうことですか?」と聞くと、「わかりません。一昨日の夜、寝る前に水を飲もうとしたら水がすーっと流れ落ちたんです。
それで、「おかしい。なぜ水がこのように流れるのか」と鏡を見ると、口がこのように曲っているではないですか? それで、きのう漢医院に行って針を打って病院も行ってみたけれど全く効果がありません。それで心配になって昨日の夜祈ってみたところ、姜局長の顔が浮かびました。これまで私が間違っていましたから、姜局長、私をどうか助けて下さい」とすがってきました。

普段お父様に対して否定的な態度を取っているからそのようなことが起こったような気がしました。それで、心の中で祈祷をしました。「神様、かわいそうじゃないですか? これから超教派活動に積極的に参加するというので、この人の口をまっすぐにして下さい」と祈祷をしてあげて別れたのですが、二日後に電話がきました。「姜局長、口が元の位置に戻りました。ありがとうございます。ありがとうございます」という電話だったので、私は本当にうれしかったです。

その時から、「私が信じた通りに、言った通りに、思った通りに、神様が成して下さるんだなあ!」という思いで、もっと固く信じるようになり、感謝するようになりました。

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