国進ニムの質疑応答2017年5月27日(その1~その5まで)

サンクチュアリーNEWSより引用
国進ニムの質疑応答5月27日(その1~その5まで)まとめてみました。
「どんな基礎の上に王国が建てられるのか」国進ニムの質疑応答5月27日(その1)

皆さん、こんにちは。
えらく、偏って座っていますね。
あちらに座らない理由があるんですか?

あちらにいるのは誰だろう。
カメラの位置を気にしないで、くつろいで座っていますね。

さあ、何から話しましょう。
王国について話していたのではないのですか。
だからここに残っているんでしょう?
王国についてどんなことを学びましたか。
神様の王国のすばらしい所はどこでしょう。

そう、王国は自由の地です。
神様の王国の基礎をごらんなさい。
お父様は神様の王国はどのような所だとおっしゃいましたか。
良心で暮らすとしたら、それは自由意志をもつことですか、もたないことですか。
良心をもつということは選択の自由を得るということです。
自分の信じることの正誤を、関係性や状況を理解するうえで自分の道徳観にもとづいて決めることができるということではないですか。

自由の要素、自由意志があるのです。
愛はどうですか。自由意志なしに愛は存在しますか?

愛するように強制することはできませんか。
できない?
神さまの王国は、良心の王国、自由意志の王国です。
自由意志があれば、必ず愛を得ますか?
少なくとも、愛される可能性はあります。
公平ではありません。
ある者は愛され、ある者は愛されないから神様の王国は不公平ですか?
ひどい神様ですね。

だから、神様の王国では、自分で何かをしなければなりません。そうしなければ、何もあっちから与えられません。
例えば、お腹がすいたらどうしますか?
仕事を始める?それだけの知恵がなければどうします?
確かに建国の父のひとりは、空腹こそ勤勉の最高の動機だといいました。
おそらく今お腹がすいているんでしょう。

どうやって生活するか考えなければなりません。
でもこれはいい質問だしとても大切な質問です。
神様の王国を考えるとき、そこに必要な要素があります。
自由意志と選択の自由です。何事も自分から始めなければなりません。
そこに保証はありません。リスクがあります。

物事にリスクがあり、保証はありません。
愛を得ることができないかもしれないし、食料を得ることができないかもしれない。
そんな世界に住みたいですか?

(はい)

どうして?
われわれの話している天国の基礎となる要素を見るとき、強制のない、個人の選択に根ざしています。それが天国建設の思想的基盤です。

だから天一国憲法をみるとき、そこに違いが・・基礎がある。つまり自分の人生をつくっていく上で、幸福を追求していく上で、選択の自由と良心、自由意志を持つこと、これが根っこにあるのです。しかし成功する保証はありません。経済的に成功する保証もありません。情緒的に成功する保証もありません。しかし最終的に愛を見つける可能性、人生に満足する可能性はあります。神様が計画されたものです。

神様の王国についてその要素を語るとき、具体的に、憲法のクラスで話し合うとき、反対側を見てみましょう。サタン側ではどうなっているのか。

サタンの王国の思想的基盤はなんでしょうか。
選択の逆とは何ですか?

力(強制)ですね。

サタンの王国では基本的に、彼が自分より多くを持っているとしたら、そばに行って一緒になってそれを盗もうとするのです。それが社会主義でしょう?

社会では、それぞれの人がそれぞれの量の社会資源をもっています。所持金の量も違います。それが不公平だといって・・。不公平だという人々を集めて、不公平だと叫びをあげる。そして盗み取る。もし人がそれに抵抗すると、どうやって盗みますか?

どうしますか。その人たちを殺して、打倒し自分たちが作ったわけでもないものを、奪い取ります。それが社会主義の基本でしょう?それがサタンの王国の基本です。

ねたみと嫉妬、奴は自分より多く持っている、奪い取ってやれ。そういう社会では、道徳は何によると思いますか。平等主義の考えは、正しくないでしょう。悪ですか?

(機会の不平等は・・・)

そう、機会の平等があり、結果は不平等になる、これがポイントです。
人はそれぞれ能力に違いがあり、才能も異なるからです。そう、みんなそれぞれ唯一の存在です。たとえ、経済的平等を強制的に実現させようとしても、人は不平等のままです。幸福度に関して不平等は残るからです。ある人は別の人より幸せでしょう。ある人は愛する人とともにいるけれど、ある人は悲惨な状態でいる。だからたとえ、結果的に経済的平等をつくりだしたとしても、幸福における不平等が生じます。平等が生みだす結果は何ですか。

サタンやサタンの王国、サタンの思想、社会主義、共産主義について語るとき、その問題に直面します。「自分は犠牲者だ」「不公平だ」こういう思いを持つ心理は、決してなくなりません。経済的平等になったとしても。

絶えず嫉妬の思いは生じます。自分自身の向上に目を向けないからです。苦労して、個人としての自己を見ようとしないからです。つねに自分を人と比較する。

そう、根っこに他人への嫉妬があるのです。出て行って自分で人生を切り開こうとしない。
惨めな自分の中に自分のアイデンティティを見つけようとする。結局それは何ですか?

その自己中心の塊は?偶像崇拝です。
社会主義の基礎は、偶像崇拝なのです。犠牲者である自分を崇拝しているのです。
ここで十戒に戻るのです。だから神様はわれわれに偶像崇拝を禁じたのです。

終わりがないからです。

社会というものは結局、基本的な原則、原理に基づいています。
きわめて単純な教訓が社会、国家、世界の基礎にあるのです。
世界を見るとき、大きくて、とても複雑にみえるでしょう。
複雑さが世界をつくっているのではありません。
根っこにある、基本的で単純な哲学的原理のうえに全世界が成り立っているのです。
だから自由な意志の上に築かれた社会と、強制の上に築かれた社会では根本的な違いがあるのです。これは二律背反、お互いに交わらない原理です。うまく調和しないのです。水と油のように。結果平等の社会を追求するならば、力を用いて平等にするなら、それは絶えず自由意志の思想から自分を引き離すことなのです。そしてその強制力をつくりだす組織が成長するにつれて、その力を濫用し、抑圧的力を強めていくのです。そうして、戻れない坂道を転がり落ちるのです。

エデンの園でアダムとエバが堕落した時のことを考えるとき、エバがいかに無邪気にリンゴを食べたことでしょう。しかしひとたびその道を下り始めると、世代を超えて滑り落ち続けるのです。エバの行いの結果は無限に倍加され、この世界すべてがサタンの被造物となり、サタンの王国が作られることになったのです。

だからそこが問題です。どこから始めるかが重要なのです。どんな基礎の上に王国が建てられるのか。種が問題です。植えた木は何の種なのか。良い種か、悪い種か。

基本的な道徳的価値が、根本的に全世界の運命を決めるのです。世界がどうなるか。これは皆さんが選択する問題です。全統一運動がお父様の聖和の時に選択すべき問題でした。どのような王国を求めていくのか。神様の王国のビジョンは何か。一人の選択が重要です。あなたの選択がいつも同じとは限りません。周りを取り巻くこの世界、キリスト教に基づくこのわれわれが喜びを得る世界、それが西洋文明を発展させました。建国の父が革命戦争を通して闘い取った世界。人々がただ日々関わり合うことだけで、保証される世界ではありません。
実際これは歴史上特異な出来事だったのです。人類歴史のほとんどはこんな風にはいかなかったのです。

「主権は血統を通じて次世代また次世代に伝承していくものです」国進ニム5月27日質疑応答から(その2)

字幕付け作業が終わり次第、動画をアップします。今回は、文章だけです。

International Leadership Seminar 5 27 2017 YouTube.png

自由な社会は長続きしないのです。本当に悲しむべきことはこれです。
われわれの先祖が聖書的歴史期間を通して自由と自律の憲法を掲げて、このアメリカ合衆国を建てるために働き続けてきました。ここまで何百万という人々がこの国のために命を懸けたのです。それを相続した人々は、先人の労働と犠牲のおかげで、この国にみのった実を享受してきました。しかし相続したその価値を貴重に思わなかったのです。それが大きな問題です。世代を超えるということが。ただで手にした実を尊ぶようにどのように子供を教育しますか?独裁ではなく自由を選んだのは「私」です。父から受け継いだものの価値を受け継がせていくこと本当に試練であり難しい問題です。

それは神様の創造以降、アダム、エバを通してできなかったことなのです。彼らは神様から相続した価値を理解できなかったばかりか、それを駄目にして、僕(しもべ)に与えたのです。しかしその僕はそれを世代を継いで相続してきました。聖書的意味でこれを見るなら、最初に与えられた祝福はアブラハムに与えられたものでした。自分が創造主から与えられた祝福の価値の意味を父として子孫に伝えることができたという意味で模範です。

アブラハム家庭が勝利した、第2世代、第3世代へと続くこの祝福の伝承、イスラエル民族にまで確保したこの祝福の伝承。これこそ私たちが家庭をもつときから抱える大きな挑戦です。夫婦間の理想の関係だけではなく、その価値を血統を通して両親から子供に伝承するのです。

アブラハムは、イサクとヤコブをとおして勝利者となりました。だから、神様はその三代を一つとみなしました。なぜなら地上で時間を超えて権威が継続するためには世代を超える権威と責任の伝承が必要だからです。それに成功しなければ血統は、終わってしまいます。

そこが個人であること、神様の真理と愛をもつ善なる個人であることと、天一国の王になることの違いです。主権を考えてみたとき、それは個人的な自由だけではありません。主権は血統を通じて次世代また次世代に伝承していくものです。

だから今、王様があなた方に王冠をかぶりなさいという時、皆さんは神様から頂いた祝福を自分一代で消費するのではなくどうやって次世代に伝えるべきかを考えなければなりません。だから「私」だけの問題ではないのです。王国の王になりたいと思う人、すべてが相続について考えなければなりません。

(質問者)あなたがおっしゃる、自由とその伝承について考えました。いま子供たちにその価値をどうやって教育したらよいか今一つよくわかりません。無償で与えるものですから、幼い子供はその価値を理解できないのではないでしょうか?

(国進ニム)
問題は自分が一生かけて努力してきたものをどうやって子供に伝えるかという問題が最大のポイントです。子供に関していえば、あなたは自分の血統を王として、自分が選択しなければなりません。自由意志と責任をもって自分が築いた財産を、(子供たちのうち)ジョンに与えるか、ジェイか、それともジェーンなのか・・・あるいは自分の責任を放棄して、子供たちに平等に分けるというか。世代を超えて主権を発展させる家庭になるか、一代限りの主権で終わる家庭になるかのそれが境目です。

つまり、一つの子供に対するテストです。しかし最後には、霊界に行くのだから、あなたは選択しなければなりません。

(質問者)
もし子供たちに全く平等に分け与えたとしたら、価値を理解できずに社会主義的に引き込まれるのでしょうか?

(国進ニム)
そこがポイントです。あなたが父親として、これが一番簡単だからといって、子供たちの位置や個性を考慮することなく「皆、平等に与える」といえば、誰が自分の血統として相応しいかという選択を放棄することになります。

ここで、少し困った立場に置かれたことを自覚しますか?ここが主権と主権なしの違いです。王であるのか、僕、奴隷であるのか。選択です。難しい選択です。一生を通して、家庭、国家建設などに向けて選び続けなければなりません。どのように子供に相続させるか、子供たちをどう評価するか、どう判定するかという選択までしなければならないのです。子供たちの徳をいかに測りとり、判定するのか。

主権を話すのは簡単です。責任を語るのも容易いことなのです。神の国で王になると話すことも簡単なのです。しかしその役割を責任もって成し遂げることは、もっと難しいのです。

つづく

翻訳:管理人

「家族とその血統のために自分が何をすべきか考えなければならない」国進ニム5月27日質疑応答から(その3)

自由な社会は長続きしないのです。本当に悲しむべきことはこれです。
われわれの先祖が聖書的歴史期間を通して自由と自律の憲法を掲げて、このアメリカ合衆国を建てるために働き続けてきました。ここまで何百万という人々がこの国のために命を懸けたのです。それを相続した人々は、先人の労働と犠牲のおかげで、この国にみのった実を享受してきました。しかし相続したその価値を貴重に思わなかったのです。それが大きな問題です。世代を超えるということが。ただで手にした実を尊ぶようにどのように子供を教育しますか?独裁ではなく自由を選んだのは「私」です。父から受け継いだものの価値を受け継がせていくこと本当に試練であり難しい問題です。

それは神様の創造以降、アダム、エバを通してできなかったことなのです。彼らは神様から相続した価値を理解できなかったばかりか、それを駄目にして、僕(しもべ)に与えたのです。しかしその僕はそれを世代を継いで相続してきました。聖書的意味でこれを見るなら、最初に与えられた祝福はアブラハムに与えられたものでした。自分が創造主から与えられた祝福の価値の意味を父として子孫に伝えることができたという意味で模範です。

アブラハム家庭が勝利した、第2世代、第3世代へと続くこの祝福の伝承、イスラエル民族にまで確保したこの祝福の伝承。これこそ私たちが家庭をもつときから抱える大きな挑戦です。夫婦間の理想の関係だけではなく、その価値を血統を通して両親から子供に伝承するのです。

アブラハムは、イサクとヤコブをとおして勝利者となりました。だから、神様はその三代を一つとみなしました。なぜなら地上で時間を超えて権威が継続するためには世代を超える権威と責任の伝承が必要だからです。それに成功しなければ血統は、終わってしまいます。

そこが個人であること、神様の真理と愛をもつ善なる個人であることと、天一国の王になることの違いです。主権を考えてみたとき、それは個人的な自由だけではありません。主権は血統を通じて次世代また次世代に伝承していくものです。

だから今、王様があなた方に王冠をかぶりなさいという時、皆さんは神様から頂いた祝福を自分一代で消費するのではなくどうやって次世代に伝えるべきかを考えなければなりません。だから「私」だけの問題ではないのです。王国の王になりたいと思う人、すべてが相続について考えなければなりません。

(質問者)あなたがおっしゃる、自由とその伝承について考えました。いま子供たちにその価値をどうやって教育したらよいか今一つよくわかりません。無償で与えるものですから、幼い子供はその価値を理解できないのではないでしょうか?

(国進ニム)
問題は自分が一生かけて努力してきたものをどうやって子供に伝えるかという問題が最大のポイントです。子供に関していえば、あなたは自分の血統を王として、自分が選択しなければなりません。自由意志と責任をもって自分が築いた財産を、(子供たちのうち)ジョンに与えるか、ジェイか、それともジェーンなのか・・・あるいは自分の責任を放棄して、子供たちに平等に分けるというか。世代を超えて主権を発展させる家庭になるか、一代限りの主権で終わる家庭になるかのそれが境目です。

つまり、一つの子供に対するテストです。しかし最後には、霊界に行くのだから、あなたは選択しなければなりません。

(質問者)
もし子供たちに全く平等に分け与えたとしたら、価値を理解できずに社会主義的に引き込まれるのでしょうか?

(国進ニム)
そこがポイントです。あなたが父親として、これが一番簡単だからといって、子供たちの位置や個性を考慮することなく「皆、平等に与える」といえば、誰が自分の血統として相応しいかという選択を放棄することになります。

ここで、少し困った立場に置かれたことを自覚しますか?ここが主権と主権なしの違いです。王であるのか、僕、奴隷であるのか。選択です。難しい選択です。一生を通して、家庭、国家建設などに向けて選び続けなければなりません。どのように子供に相続させるか、子供たちをどう評価するか、どう判定するかという選択までしなければならないのです。子供たちの徳をいかに測りとり、判定するのか。

主権を話すのは簡単です。責任を語るのも容易いことなのです。神の国で王になると話すことも簡単なのです。しかしその役割を責任もって成し遂げることは、もっと難しいのです。

堕落世界を見るとき、法律が人々をどういう道に押しやっているのかが分かります。基本的に法律は、遺産は子供たち全員に分けて、一人に集中させないようにしています。他の国でも、アメリカでもそうです。また基本的に、自分が蓄えたものを、退職後の生活で死ぬまでにすべて使い果たさせようとしています。99.99%の人にとって社会はそういう風に仕組まれているのです。その理由は何でしょうか。平等主義の原理、すべての国民に機会を与えようとする動機からきているのでしょうか。違います。

そのような法律は後付けで作られたのです。王を欲しない、一家の血統をもたせたくないある勢力が存在するということです。世代を超えて気づかれる財産を、散財させたいのです。アメリカ社会でさえ、現在の法体系では、本当に裕福な者には法の抜け穴があって、いくらでもあるその抜け穴から、税金も取られずに実は一人に富を集中させることが可能なのです。上手く遺産対策をすれば。基本的にシステムがそういう風に、人々が世代を超えて富を蓄積することができないように設計されているのです。だから人々の大半は神の国の王権に参画できないのです。わずかな人だけが、弁護士を大勢雇って次の世代に富を相続させているのです。それによって、ごく少数の一族が世界の人々の命運を握るなどということができるのです。だから一般の人々が相続や後継に関する決定と選択を難しくする法律こそ根本的に世界の人々の害になっているのです。それでは社会が良くなりません。

だから私たちがコミュニティとして、神様の王国創建について考えるとき、それは避けて通ることのできない問題だというのです。どうやってその法律を変えていくか。いかにして普通の中流クラスの人々が賃金奴隷になることなく、現実の主権者となることができるのか。次世代が富を相続できなければ、主権者とは言えません。

(質問者)音が小さくて聞こえない

(国進ニム)
相続税もあれば、贈与税などあらゆる税があって、人に何かを贈りたければ税を払わなければならないこともあります。様々な分野で、国民が財産を子に譲ろうとすると、政府がそれを取り上げる仕組みがあります。しかし信託法や国家計画をよく理解して、国の先を行くなら、そのような税のしくみを回避することも可能です。

(質問者)

世代から世代へと財産を受け継いでいけば、たとえ政府が「このお金は、これこれの目的に使う・・」といっても、それが必ずしも正しくないということを学ぶことができるように思います。個人の主権ということを重んじれば、誰が最も相続に相応しいか、そして家族全体を守ることができるのか。世代間の相続は、主権の価値全体をある世代の正しい人から次の世代の正しい人に受け継がせることのように思えます。

(国進ニム)
賢明な選択をするということはあなたの責任です。必ずしもすべてを一人に継がせることが必要だとも思いません。多くの子供がいて、一緒に働くことができるなら、相互の協力が可能なら、個人の財産というよりは事業をある割合でシェアすること、協調を継続できるなら、子供たちそれぞれに価値があるとわかるでしょう。しかしあなたが親としてその価値、功績を判定しなければなりません。

両親にとって、とても難しいことは、子供たちを見て、この子はあの子より優れているからこの子に多く相続させようと、決めることです。しかしそれは現実です。それぞれの子供はそれぞれ違った才能を持っています。家族とその血統のために自分が何をすべきか考えなければなりません。世代を超えて主観をいかに発展させていくか。相続させるものはお金だけとは限らなにのです。お父様にとってそれは、「真の父母の祝福」がだったのです。つまり祝福を与える権能です。本物の遺産です。  つづく

翻訳・字幕:管理人

「自分のものでない相続を力ずくで奪う-それは社会主義のエッセンス」 国進ニム5月27日質疑応答から(その4)

いつだってその要素はあるのです、どの子が親の与えた価値を理解しているのか見極めることです。これがチャレンジであり、神様の王国が失われた理由でもあるのです。この難題の前に、人は親として、この選択はしたくないと、どうせなら平等に分けてしまおうというのです。
でもいいですか、平等に分けようと決めることもある選択なのです。どちらにころんでも選ばなければならないのです。自分の血統と主権を創設することもできるし、子供たちの主権を破壊することもできるのです。

ここにいる人たちも、子供たちがその決定を聞いて「不公平だ!」というのを聞くのは嫌でしょう。「不公平だ」という、言葉は何を意味するのでしょう。その発想の基礎にはなにがありますか。
サタンの王国です。あなたの子供が「あまりにも、不公平だ!」というのは、本音は「力を行使してもその決定をくつがえす。自分も分け前にあずかれるはずだ!」ということです。

それは社会主義の基盤ではないですか。「そちらが自分にくれないなら、どうであろうと自分から奪う」というものです。子供の一人がそういうことを言い出したら、何とこたえますか?「主権」からでる言葉は決まっています。「駄目だ。力ずくで奪おうというなら、お前を討つ」。「自衛手段も持っている、自分の資産は守り抜く」。だから「主権者」として強くならなければならない。自分の王国を守る手段と意志をもたねばなりません。ここで最初に戻ります。自由意志と、言論の自由と、信教の自由から出発しました。それらの自由をもっているなら、そして「主権者」だというのなら、「自由」は自動的に次に必要なものを。自由があるというなら、あなたの家も富など自分が築いたものは、むざむざ他のものに奪われてはなりません。それが自分を守る自由だというのです。だからすべてつながっているのです。何世紀も人類が見つめてきたその、本来の権利、神様の贈り物と言ってもいい-それは聞くに心地よいから、あるいは銃をただ所有したいから、誰かがつくりだしたものではありません。それらはひとまとまりの権利です。ほかのどの権利が欠けても基本的な良心の権利を維持することができません。

国に、守りを委ねると、国に自分の所有を引き渡さなければなりません。そして信仰の自由も言論の自由も良心の自由も失います。自分の持物も失うのです。ひとたび、国が守ってくれるようになれば、自分の物を守る手段を失います。国がやって来て、所有物を求めるからです。その時、国になんといいますか。何も言い返すことができません。自分を守る術をもたないからです。

これは革命的原理です。それは聖書的経済学とよべるものです。イエス・キリストの経済学です。再臨主の経済学です。その経済原理はすなわち「自分が汗して稼いだものは自分が所有する」という原理です。自分が苦労して得たものは、自分が保管する、ということ。

ここで問題が生じます。自分がとても生産的で、たくさん稼ぎ、たくさん蓄えたとします。他の誰よりも豊かになったとすると、怠け者のぐうたらたちがやって来て、「あなたは沢山持っているが、我々は持っていない」という。そのとき、銃を持っていなければ、その者たちはやすやすと奪っていくでしょう。

聖書的原理・・・労働の自由、労働で得たものを自分の物にする自由、そしてそれを守る自由は聖書的原理です。そして人を殺す聖書的権利をもっているということです。私が勝手に言い出したことではありません、すべて関連しあっているのです。

これが難しいのです。生涯かけて成功を収め、資産を蓄えたとしても・・・それは霊的資産でも物的資産でも構いません。これを次の世代に引き渡すことに失敗すると、あなたの遺業は消えてなくなります。

お父様をご覧なさい。多くの霊的富をもっておられます。統一運動の歴史を通して、お父様を愛して、ついてきたすべての人々。お父様の資産は、外的なものだけではありません。人々のお父様への愛と、名声があります。政府の公職についていた人は大勢、そのような富をもっています。政治家は、知名度をもっています。だからその子供が選挙に出やすいのです。つまり親の政治的遺産をもっているのです。

神様の王国は、主権の王国です。政治的王朝にとどまらず、経済の王朝でもあります。われわれは多くの中産階級の王朝をもたなければならない‐これが問題です。しかしそれは現在の法律では不可能です。神様の王国を語るとき、それは無数の人々の主権を語るのと同じことです。基本原理としてその国は、憲法に規定される基本的権利の上に建てられるものですが、それがどう法律で具体化するかが問題です。

憲法とそれに基づく立法が、大きな独占を防ぐように運営されるなら、中産階級の花咲く社会が生まれるでしょう。中産階級が、次世代に丸々相続させることのできる社会が生まれるなら、世代を超えた中流階級が定着します。相対的に層の厚い中流階級が、世代を超えて続くでしょう。地上天国をいうとき、そのことを語っているのです。王国と国民という場合、一部の貴族階級の相続権だけではなく、国民の30%が同じように相続させることのできる社会を語っているのです。

どのようなタイプの社会でも、自由競争の障害物をすべて取り払うなら、規制や官僚主義を排除するなら、ビジネスや資源の所有者が、たいてい国民の30%を占めるようになります。零細企業から中小企業、大企業に至るまでの経営者の割合がそうなるというのです。まだ労働力になるまえの未成年の世代、退職して一線から引退した世代、それらを除いて、最大30%の人口がそうなるのです。すべての人が所有権を有する社会、つまり30%の人口が何らかの事業を行う社会と独裁者の君臨する社会つまり1人がすべてを所有する社会、この幅があります。

神の国を実践的な面から語るなら、私たちがそのためにしようとしていることは、事業主の数を最大にするような法制度をつくることです。そのことを目指して天一国憲法は設計されています。

明らかにトランプはその方向に動いています。われわれが天一国憲法を学ぶとき、つまり神の国について話をするとき、神の国というのはどこか遠くにあって、歴史を通して狂信者たちが夢に描いてきた、ただの思想ではありません。そうではなく、神の国は実際に建設され得るものです。それは法律、政治、経済、社会の構造を理解することを通して。現実に建設可能な、実際に存在する王国です。その王国はモデルをつくり、その社会の人々にどういう影響を与える社会になるか予測可能です。それはどこか遠くにある架空の、観念的な実現不能なものではありません。今日のわれわれが完全に実現可能なものなのです。その意志があるならば。そこを理解すること、区別することが重要です。

神様の王国は既に存在します。ただそれを建国しなければなりません。神の国はシンプルなものです。神の国についてのお父様の教えは、その「良心」に関するものです。その自由意志であり、幸福追求、その幸福は創造主に対する愛の中にあります。

しかしこれらの単純な言葉、単純な考えの背後には根源的で深遠な、社会構成の有機的分岐がなければなりません。自由意志と良心と主権と相続の原理に従って生きるならば、それはこれまでと全く異なる社会ができます。社会のあらゆる面において。経済や法律、政治、軍事の構造において。その核心的システムにおいて。この変化について考え始める必要があります。

この孤立した、信仰の厚い宗教的コミュニティを、いかにして現実の国家にしていくのか。神様の御心の国にするのか。それが問題です。どうやって建設するのか。われわれはそれを考えなければなりません。

私たちの考え方も変えていかなければなりません。キリスト教がお父様を見捨てた後、荒野路程を行かなければならない宗教組織として軍隊のような組織にならざるを得ませんでした。特別な軍隊です。たとえば精鋭部隊になるための規則は非常に厳格で、そこに求められる基準はとても高いものを要求されます。それに対して一般の軍隊、部隊においては清英軍に比べて低いし難しくもありません、もちろん軍としては厳格ですが。

そういう特殊部隊と通常部隊から、一般市民レベルに話を移すとき、軍隊のような組織の在り方が必要ですか。高い低いという基準が必要ですか?

だから今は、われわれが社会でどう生きるか、法律や政府をつくって神様の御旨についての理解をそこに投入し、(軍隊ではない)一般市民社会にどう適用するのか。

マイクをまわしてください。

(質問者)

以前、この問題を話したときに質問として出たことですが、この小さなコミュニティの物流(経済)の問題について、互いにどうかかわるべきかを尋ねました。地上天国の礎石となるためにそうすべきかという質問に、あなたは釣り(漁)、農場を学びなさい、自給自を身につけなさい、とおっしゃいました。

(国進様)

それについては今も言っていますよ。自給自足であって、釣りや農業で一家を養えるようにしておく、それも労働の結果を自分の物にする方法です。蓄積した財をいかに相続させるか、いかに自分の仕事、生命を次世代に継承するか、それが主権者として大きな問題であるといっているのです。あなたの仕事や生活は必ずしも物質的なものだけとは限りません。あなたの仕事、生活、それに神の国の追求もその一つなのです。

翻訳・字幕:管理人

「今の国連はサタンの下の一つの世界をつくっている」-国進ニム5月27日質疑応答から(その5)

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自分の子供の中で誰が財産を受け継ぎ運営していくのに最適か、ということだけが問題ではありません。どの子が自分の神の国のビジョンを最高に継承してくれるか、これが問題です。こうした相続に関する問題は皆さんの問題なのです。このコミュニティの試練でもある。自分の価値観、夢、熱意を次の世代に託すことができるのか。これは必ずしもうまくいくとは限りません。自分の世代のように。どうやって同じ熱意を子供に伝えますか。それがコミュニティの本当の試験です。「主権」をもつコミュニティだけが世代を超えて自分たちの信念を実践し、夢を追い続けることができます。その人々こそが神の国、神の王国を建設できるのです。これが深刻な試練であり、真のチャレンジなのです。私たちのコミュニティにとって。地上に神の国を建設しようというのなら。

ジョン、何かありますか?

(ジョン)

黙示録の中で「もはや悲しみもなく、苦痛も死もない・・・」とありますが、その前提として皆が、善の道を選ばなければならないということでしょうか。

(国進ニム)
全体として見ればそう言えるでしょう。神の国では全体としてそうなるでしょう。ほとんどの場合、95%、99%の人々は幸せでしょう。しかし、1%から2、3%の人は精神異常者であり、大して幸せだとは思わないでしょう。その人々を処罰しなければ社会全体として幸福とは言えないでしょう。だからその聖句は、全体として見たときの様子でしょう。全般的な幸福度ということです。

他にありますか?

ギデオン。

(ギデオン)

リバタリアンとしてこの質問をかねてからしたいと思っていました。一時間くらい頭から離れませんでした。私の信念に反することもあり、理屈に合いませんが、でも聞かなければと思いお尋ねします。「最低所得保障」についてどうお考えですか?

(国進ニム)

最低所得保障というのはミルトン・フリードマン(ノーベル賞経済学者)が提唱した考えです。負の所得税という概念です。経済学的観点からいうなら、負の所得税というのは、自分の所得があるレベルを割って下がった時、政府がその分を補償するというものです。この議論は、経済学の観点から出されたものです。負の移転、つまり最小の原因は経済へあたえる弊害も最小にするという考え方です。
最低所得保障について、私個人の考え方は・・・この社会の大きな組織から、もっと分権的な在り方への移行を求めている私たちからいわせれば、慈善も個人のレベルで行うという・・・この社会の移行において、現状から、希望する社会までの移行のプログラム、行程表が要るでしょう。そういう見方をすれば、最低所得保障も移行期の政策としては在り得るでしょう。それが最終的解決法だとは思いません。問題は、政府を使って所得の移転を行なうとき、それは基本的に、力と強制力を用いて富を奪うことになります。

国家の思想的基盤に不確かな要素が生じます。その国家は堕落したことになります。ひとたび、国の基盤が崩れたら、その国が自由の国であり続ける保証がありません。「強制」という滑りやすいなだらかな坂道を転がりだしたら、その傾向が強まるのに時間はかかりません。この議論を始めることの問題はここにあります。ひとたびそれを認めると自由の論陣をはることができない。

そのよい例を、アメリカの「銃所持の権利の運動」にみることができます。「銃所持の権利」を追求することにおいて彼らは1インチたりとも譲りません。いかなる妥協案、どんな小さな妥協案にも首を縦に振りません。むしろ銃所持のより大きな自由を求めています。
だから最低所得保障にも、今よりましな政策だという人もいるでしょうが、確かにその面はあります、しかしわれわれのゴールにはなり得ません。なぜなら、その解決法をもとめるなら、自由を失うからです。

(ジョン)

私はお父様が、後継者と勝利したカイン・アベルを通して働いて下さるので大変楽観しています。私は歴史が好きなのですが、アメリカ合衆国憲法について、多くの懐疑論があります。反連邦主義者は制定当時から憲法に懐疑的です。パトリック・ヘンリーはフィラデルフィアの憲法制定会議に招待されましたが「何かうさん臭いから自分は行かない」と言って拒否しました。ハミルトン(初代財務長官)とその仲間が重商主義に反対しました。私は、合衆国憲法を信じ切ることができません。多くの人が、自由のアメリカという実験を駄目にした人がリンカーンだといっています。ジェファソン流民主主義を駄目にして、自由・自主の連邦を殺してしまいました。

(国進ニム)

アメリカ合衆国憲法のオリジナルでは、連邦政府だけではなくジェファソンと大きく妥協して人権宣言をともに盛り込みました。それによって政府が個人の人権、自然権を侵すことが難しくなりました。その均衡と抑制は政治的にはよくできたものでした。権限を限定した連邦制を認める憲法をもつことの大きな利点は、他の人と取引をするときに、より多くの人にアクセスできることです。莫大な人口をもつことになります。自由な組織を人々の間で作ることができます。その多くの人々と自由に交わること、売り買いすること、これが大きな富を生むのです。それを過去に巻き戻して憲法以前の状態にしたところで、それは13植民地による連合規約にもどるだけです。相互間の交流という恩恵を受けることができません。そこでは州が主権の本体ですから。自分の州を守る地域内での商業です。

(ジョン)
憲法が経済的自由を拡大したのですか?

(国進ニム)

憲法によって経済圏が拡大しました。そこで人々は自由に取引できます。これがお父様が国連について話された内容の核心です。お父様は今の国連は問題だと言われました。なぜならカイン型だから。だから合衆国憲法のように自然権に基づく人権、良心の自由、自衛の自由を認めるアベル型の国連をつくれば、そういう性質の国家の連合ができるなら、さらに拡大した相互交流、相互協調、将来に向けた繁栄の社会が生まれるでしょう。今の国連はそうなっていません。国連はサタンの下の一つの世界をつくっています。一つの地獄です。独裁的支配の下で。しかし憲法の本来の精神を世界レベルにまで拡大するなら、我々にとっても恵みでしょう。だから皆さんがなすべきことは合衆国憲法をもって世界各国の文化を変革させることです。合衆国憲法に賛同できるところまで。そうすると長成期完成級の理想世界がもたらされます。

International Leadership Seminar 5 27 2017 YouTube

アメリカ帝国の大きな問題は、アメリカ帝国になっているということではなく、アメリカの自由とアメリカの原理が、アメリカ帝国全体に広がっていないということです。アメリカの原理がアメリカ帝国全体に拡大していないということです。

(ジョン)
帝国はもっぱら、共和党、特にリンカーンがつくりました。リンカーンと(セオドア)ルーズベルトによって。

(国進ニム)
帝国は中央銀行によって支えられてきました。古い権力集中型の帝国によって。

(ジョン)
推測ですが、ルーズベルトやウィルソンによって・・・

(国進ニム)
それ以前から大銀行や、国際銀行が支援していました。大英帝国が崩壊した後、帝国を運営してきた人々やインフラは、アメリカ帝国に吸収されました。だから大英帝国はアメリカ帝国になったのです。

(ジョン)
第二次大戦の頃ですか?

(国進ニム)

そうですね第二次世界大戦後、大英帝国が戦争の出費で自分を支えられなくなってからです。しかし多くの情報機関とそこの人間は、アメリカ情報機関や軍に吸収されました。
ナチもそうです。

(CIAの基礎に?)

(国進ニム)

そうです。アメリカ戦略諜報局(1942-45)の人間がそうです。イギリスのお金、銀行でできたのです。・・・それが憲法の大きな問題です。憲法修正プロセスが、均衡と抑制を弱め、個人の自由が損なわれました。その中でも大きな問題は、上院議員が直接選挙になったことです。本来それは連邦と州の均衡と抑制の問題でした。上院議員は各州でどう選ぶか決められていたのです。各州は議会で選出したのです。だから州政府が上院議員に対して管轄していました。しかし上院議員の選挙の方法が変わってから、州政府は上院議員に対する権限をなくしました。修正18条でそうなったのです。

(質問)

聖書に関して一つ質問があります。聖霊は・・・聖書における聖霊は、いつも男性格ですが、私たちはそれは「お母さま」のことだと教えられてきました。

(国進ニム)
それは異端です。原理ははっきりと神について、本性相と本形状からなっていると書いています。それが神様の属性です。その次に対象的属性として、男性と女性があります。陰と陽です。神様の主要な属性は内的属性であることを知るならば、それをわれわれは父と呼んでいるのです。神様の男性格と女性格は、陰、陽の属性で表すことができます。だから神様を父なる神、聖霊(Holy Ghost)と呼ぶのです。これは全く自明のことです。

(ギデオン)

リバタリアニズムを学んで理解したことは、政府が結婚に関与するのは良くないということです。離婚には政府は関わります。財産の半分を失うのです。天一国憲法で気づいたことは、お父様は御自分の言葉で…もし間違っていたら訂正してください…「政府は男女間の結婚を、自分たちの利益になる限りは保護する」。私がこのみ言葉を聞いたとき少し混乱しました。それはリバタリアニズムを学んでいた背景があったからです。そこでは、もし政府が便宜を与えることになるなら・・・

(国進ニム)

天一国憲法を注意深く読みましたか?

(ギデオン)

私は全部理解できたとは言えません。

(国進ニム)

政府が結婚に特典を与えるとき、政府の本当のメッセージは何だと思いますか?

(ギデオン)
税金です。

(国進ニム)

何の税?

(ギデオン)

天一国憲法から判断すると、消費税ですか

(国進ニム)
連邦所得税ですね。結婚につける特典は。

(ギデオン)

これまでのアメリカの話ですか?

(国進ニム)
天一国憲法では所得税ですか。

(ギデオン)
いいえ

(国進ニム)

ではどうやって政府は結婚に特典を与えますか。

(ギデオン)
天一国憲法には結婚に対する特典は書いていません。

(国進ニム)
そこが重要なのです。

(ギデオン)

ああ。わかりました。

(国進ニム)
行間まで読んで、憲法の構成まで理解するなら、基本的に答えはそこから得られますね。

(ギデオン)
わかりました。ありがとうございます。

(国進ニム)

だから憲法を読むとき、文字を追っているだけかもしれませんが、いかに実践されるのかを考える必要があります。行間を読むところまで行くなら、そういった規則がどうなっているか理解できるでしょう。憲法をつくるときそこが核心です。規則をつくるとき明らかに予期しない結果が起こるときがあります。活字からは見えないが、自然な原因から生じる自然な結果です。

翻訳:管理人
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