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『劉会長の原理本体論は天使長の政府構造を理想的だと述べている?』キングスリポート2017年7月21日より

『三代王権・こころのサンクチュアリ教会』より引用いたしました。
劉会長の原理本体論は天使長の政府構造を理想的だと述べている?

7月21日のキングスリポートの最大のトピックは劉会長の原理本体論に関するコメントであろう。劉会長の原理本体論の講義はかなり物議を呼んでいるようだ。
そこをピックアップしこの問題点について論じてみる。

Tsugito Miyamoto18 時間前
「…夜の神様が、XY染色体を持つが故に男性であり、一人でありながら父母である…」という一文は、意味を解しかねます。遺伝学で言う「XY染色体」はオス(雄)を決定する遺伝子です。ですから、「夜の神様がXY染色体を持つが故…一人でありながら父母(雄・雌)である」というのは理論的に合わないのです。再考をお願いします。

Tsugito Miyamoto15 時間前
遺伝学上のXYとXXは、それぞれ男子(オス)と女子(メス)を決定する染色体ですから、引用された亨進様の説教は理にかなっています。「男の種(精子)は息子(男子)も作り、娘(女子)も作ります」ということです。したがって、この用語(XY、XX)は男子と女子を決定する要素を表す用語としては使用できますが、「父母」を説明する用語としては使用できません。亨進様は、その種(精子)が女子(母)からではなく、男子(父)から出てくるものであることを説明しておられるのであって、暗に神様は種を持つ「天のお父様」であって、「天の父母様」ではないことを言っておられるのだと思います。貴殿は、実体をもたれた神様「真のお父様」が「一人でも父母様」であると仰ったことを、そのまま「夜の神様」にも「同じく」あてはめようとされておられますが、両者を同次元で捉えると語弊が生じるのではないでしょうか。私見です。

FanClub HyungJin14 時間前 (編集済み)
この論文は神様は圧倒的男性だと論じておりますしほとんどをそのことについて費やしております。また四位基台編で、天の父母様と呼ぶことが間違いであることを論じさせて頂いております。私見については参考にさせて頂きます。
pj15u9
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訪米報告No.5、2015,12,05会議場での亨進様お話し

私たちの娘は、日本の子供達のように育てていません。勉強ばかりしたり、
サムライ、刀、ガンを使うことを教えています。
日本で少女にそんなことをしたら、日本では捕まります。
一生弱いものになってしまいます。
天一国では、市民が銃をもって戦い、警察の役目もするのです。
ここの少女も、自分の命を自分で守ること、警察に頼ってはいけません。
悪者に出会っても、警察!と叫んでも1時間後に来ます。
お父様は、自由と責任を持つ女性を願ってこられました。
危険なこともできる女性、悪者が私を傷つけようとしたら、悪者を殺すことのできる、
警察に頼る人は奴隷になってしまいます。
武士の精神。まんが、アニメで男子と戦えると勘違いしている女性ではいけません。
アニメを見て勘違いしていては、とんでもありません。
日本では、プライド・ファイティング(日本が世界に誇る総合格闘技イベント)の
鬼のような人と戦うと死ぬでしょう。今は恐ろしい世界です。
お父様も訓練する時、格闘技、剣道、タイボクシング(タイ式キックボクシング)、ナイフを使う
戦いを教えられました。
その現実を見ると、アニメを見て生活することはできません。
人はどんなに恐ろしいか知ることが出来ます。少女たちも警察の力を持たなければなりません。
武器なくして戦うことはできません。
ここに座っている少女、悪者と戦うファイトを持たなければなりません。
幼いころから平和警察の銃の訓練をさせるのです。
私は娘を愛していますので、
堂々と生きていけるように、悪者を殺すことが出来るようにしています。
侍(さむらい)の時代と同じではありませんか。
その時代の市民はよく殺人、武士に殺されることがありました。
天一国は、市民も武器を持ちます。過去には、上級階級の人々が武器を持っていました。
ですから、天一国では王様が持つ権力を一般の人々も持ちます。
そのような世界を信じることが出来ないでしょう。恐怖を持たないで生きることのできる世界です。
子宮神学から出てきません。みなを食べさせて、生活の面倒を見てあげる、
韓氏オモニがそのような神学を唱えています。ですからオモニの天一国憲法は、
世の物と変わることがありません。
暴君政治、ヒエラルキー(官庁などのピラミッド形の階級組織,階層制度)と変わることがありません。

ID:6vqp6h

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バプテスマについて 

バプテスマについて         (バプテスト教会の説明)
バプテスマ(浸礼) ギリシャ語で水の中に沈めるの意味
1・バプテスマの始まり

(1)バプテスマのヨハネ

バプテスマのヨハネはイエスの親戚でザカリヤとエリサベツの子でした。母エリサベツはなかなか子供が出来ない女性でしたが、聖霊の預言の通り、夫ザカリヤとの間に身ごもりヨハネが誕生したのです。ヨハネという名前も、人が勝手に名付けたのではなく、神が直接「ヨハネと名付けなさい」と言われた故、その名前が付きました。このことはルカによる福音書の1章に詳しく書いてあります。
ヨハネは神から「水でバプテスマを授けるように」(ヨハネ1:33)と使わされ、また神から委ねられた権威によって始めました。それがバプテスマの始まりです。ですから、ヨハネの前にバプテスマというものは存在していませんでした。ヨハネが自分勝手にバプテスマを始めたのではなく、神の正しい権威によって始めたということはイエス・キリストがヨハネの元にバプテスマを受けに行ったことからも明らかです。イエス・キリストは「全て正しいことを成就するのは、われわれにとってふさわしいことである」と言っています。もし、イエス・キリストがヨハネのバプテスマを認めなければ、このような言葉を語られるはずはありません。ヨハネのバプテスマは神の子イエス・キリストによってその有効性と正当性が正式に認められたものなのです。

(2)バプテスマという言葉の意味

まず初めに、バプテスマに対する誤解を解いておきます。バプテスマは「洗礼」という意味を持ちません。洗礼という名称は、後世になって、バプテスマの意味が歪められて付けられたものです。
では、バプテスマという言葉の意味は何なのでしょうか。まず語源を確認しましょう。バプテスマはギリシャ語です。そして「沈める、浸す」を意味します。つまり、ある対象を水の中に沈める行為をバプテスマといわけです。バプテスマはそれ以外を意味しません。ですから、聖書にバプテスマとあったら、それは「沈める、浸す」という行為を表します。「沈める、浸す」という行為は、どこまで行っても「沈める、浸す」であり、それ以外は意味しないからです。これは日本語で「沈める、浸す」という言葉が「水を垂らす、振りかける」ということを意味しないのと全く同じです。バプテスマと聴いたら「洗礼」ではなく、単純に「沈め、浸す」ということをイメージしてください。

2・バプテスマの4条件

(1)バプテスマを施す対象

バプテスマを施す対象を見ていきましょう。まずヨハネから考えて見ましょう。ヨハネは、「自分の罪を悔い改めた者」にバプテスマを授けていました。これがバプテスマを施す対象の大原則です。
では、その後はどうなっていたかといいますと、これも「悔い改めた者」に授けることが原則となります。使徒行伝でペテロがバプテスマを施したのも、悔い改めた人たちへですから。よって「悔い改めた者」、すなわち罪を悔い改めて、キリストを信じた者へのバプテスマという大原則はバプテスマのヨハネ~使徒行伝~現代まで何ら変わることはありません。

 代表的な聖句 
・〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った 。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕(使徒8:37)
「会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信 じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。」(使徒18:8)  他 使徒2:41 

(2)バプテスマの方法

バプテスマ「沈める、浸す」の意味の通り、人を水の中に沈ませます。

(3)バプテスマの目的

①イエス・キリストの命令に対する従順を表すため。
キリストもバプテスマを受けましたし、また受けるように命令されているからです。

 代表的な聖句
「この水はバブテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。」(Ⅰペテロ3:21)

②罪の中に生きてきた自分を葬り去り、新しい命に生きるため。
バプテスマはキリストの死と埋葬と復活を象徴しています。つまり水の中に沈めるということは死と埋葬を意味し、水から引き上げることは復活を象徴します。よって、自分を水の中に沈めることは、古い自分を葬りさることを意味し、水から引き上げることはキリストと共に新しい命に生きることを表すのです。死・埋葬・復活を象徴的に表すため水の中に沈めるという行為が必要になるのです。

 代表的な聖句
・「すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」(ローマ6:4) (他にはローマ6:3、コロサイ2:12)

※ちなみに、旧約聖書でバプテスマを象徴しているものがあります。それはノアの箱舟時の水と、神が海を割り、モーセに率いられたイスラエルが紅海の海底を歩くという行為です。ペテロとパウロがこう説明しています。
「兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。」(Ⅰコリント10:1-2)
・「この水はバブテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。」(Ⅰペテロ3:21)

③教会に加わり、福音宣教の使命を担うため。

代表的な聖句
・「 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らに バプテスマを施し、」(マタイ28:19)

・「なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。」(Ⅰコリント12:13)

(4)バプテスマを行う権威

バプテスマはイエス・キリストが建てられた新約の教会の流れを継承し、かつイエス・キリストの命令に忠実に従っている教会のみが執り行うことができます。バプテスマを行う権威は牧師や宣教師にあるわけではありません。牧師は、教会の委任を受けた代表者として救われた者にバプテスマを施します。ありもしない権威を用いて、個人で勝手に施したバプテスマは無効です。(使徒行伝19章にあるアポロのバプテスマの是非について読まれるとおわかり頂けると思います。ヨハネは自分の名〔権威〕によってバプテスマを授けたのではありませんし、アポロは教会によって承認された宣教師ではありませんでした。)

代表的な聖句
・「イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」 (マタイ28:18-20)

★以上の4つの条件を全て満たしていなければ、たとえ浸礼を行ったとしてもその浸礼は無効です。

3・バプテスマに関する誤解

誤解1「バプテスマは旧約聖書の割礼を意味します。」

この誤解は、簡単に解くことができます。まず、旧約聖書でバプテスマを象徴するものはノアの箱舟時の水と、モーセとイスラエルが紅海の海底を歩いたことであるということがペテロとパウロの言葉で書かれています。再度、引用します。
「兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。」(Ⅰコリント10:1-2)
・「これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。この水はバブテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。」(Ⅰペテロ3:20-21)

 では割礼は何かというと、それは「心の割礼」、すなわち「義認と新生」を意味しています。
・「かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。」(ローマ2:29)

※沐浴がバプテスマを象徴すると考える人もいますが、聖書著者で誰1人そういったことに言及している者はいないので、採用されるだけの説得力は持ち得ません。

誤解2「バプテスマは救いのために必要です。」

この誤解も簡単です。ルカ23:42ー43のイエス様と強盗の会話をみれば一目瞭然です。「そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
もし、救いにバプテスマが必要不可欠なのであれば、イエス様はこのように言われなかったでしょう。あるいは、この強盗だけバプテスマを受けないで救われた例外中の例外と考えた方が正しいのでしょうか。いえ、この強盗を例外と考えるのは間違えています。救いの原理は、旧約時代も新約時代も現代も変わりません。むろん、旧約時代は悔い改めて罪を贖うメシア到来を信じて救われ、新約時代と現代は悔い改めてメシアが来たことを信じて救われるという若干の違いはあるものの、罪の悔い改めとキリスト(メシア)への信仰という救いに必要な原則は何ら変わることはありません。日本語訳にはさもバプテスマが救いに必要不可欠であるように感じさせるニュアンスの聖句がたくさんありますが、このイエス様と強盗の会話によってバプテスマが救いに必要ないことを理解することができます。

他、詳しい神学的議論については、当教会牧師が書いた「バプテスマ」という本を参照にしていただければと思います。

イエス・キリストもヨルダン川でバプテスマのヨハネから「バプテスマ」を受けた。
全身が水の中に沈められた。

「神様のみ旨とは何か」

祝福家庭と理想天国(Ⅰ)

第一章 創造理想と男女の愛

第一節 創造理想と人間の堕落

  1、神様のみ旨と四位基台完成

多くの人たちが神様のみ旨について語っています。

しかし、この話は簡単なようで、

いざ「神様のみ旨とは何か」という質問を受けた場合、

答えるのは非常に難しいものです。

また、

今日まで多くの信仰者が

「神様よ、み旨を成さしめ給え」と祈ってきました。

そして神様のみ旨を成すために現在、

私たちも信仰生活をしています。

しかし

神様のみ旨が何であるかもよく分からないのに、

神様のみ旨が成されることを祈り、

またそのみ旨のために信仰生活をしているというのは、

一つの矛盾だと言わざるをえません。

それでは私が

神様のみ旨に対して定義をしてみましょう。

私は、

神様のみ旨とは「創造理想を完成すること」だと定義を下します。

それでは

「神様の創造理想を完成する」ということは何でしょうか。

それは

人間の理想を完成することです。

言い換えれば

アダムとエバを中心として、

全被造世界が

神様のみ旨の前に一体となり、

アダムとエバの理想を完成することです。

統一教会の言葉を使って言うならば、

神様のみ旨は四位基台を完成することです。(1)

聖 書

ヨハネの黙示録
第22章
1御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。
この川は、神と小羊との御座から出て、
2都の大通りの中央を流れている。
川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
3のろわるべきものは、もはや何ひとつない。
神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
5夜は、もはやない。
あかりも太陽の光も、いらない。
主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。
6彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。
7見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。
8これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。
わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、
9彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。
わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。
10またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。
時が近づいているからである。
11不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、
義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。
12「見よ、わたしはすぐに来る。
報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
13わたしはアルパであり、オメガである。
最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、
偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
 16わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。
17御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。
また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。
かわいている者はここに来るがよい。
いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
18この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。
もしこれに書き加える者があれば、
神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
19また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、
神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
20これらのことをあかしするかたが仰せになる、
「しかり、わたしはすぐに来る」。
アァメン、主イエスよ、きたりませ。
21主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。

真実に迷ったときには、み言葉に帰りましょう。

真実に迷ったときには、み言葉に帰りましょう。

悩んだときに、聖書を開いたり、原理講論を開いたときのように

真実は、み言葉にあります。

13:テモテへの手紙二の手紙
第2章
13節わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を否むことができないからである。

テモテへの第二手紙
第3章
1節しかし、このことは知っておかねばならない。
終りの時には、苦難の時代が来る。

2その時、人々は自分を愛する者、
金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、

神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、
神聖を汚す者、

3無情な者、融和しない者、そしる者、
無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、

4裏切り者、乱暴者、高言をする者、
神よりも快楽を愛する者、

5信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。
こうした人々を避けなさい。

6彼らの中には、人の家にもぐり込み、
そして、さまざまの欲に心を奪われて、

多く罪を積み重ねている愚かな女どもを、
とりこにしている者がある。

7彼女たちは、常に学んではいるが、
いつになっても真理の知識に達することができない。

8ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、
こうした人々も真理に逆らうのである。

彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。

9しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。
彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、

多くの人に知れて来るであろう。

10しかしあなたは、わたしの教、歩み、こころざし、
信仰、寛容、愛、忍耐、

11それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、
ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、

よくも続いてきてくれた。
そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、

主はそれらいっさいのことから、
救い出して下さったのである。

12いったい、キリスト・イエスにあって
信心深く生きようとする者は、
みな、迫害を受ける。

13悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、
悪から悪へと落ちていく。

14しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、
いつもとどまっていなさい。

あなたは、それをだれから学んだか知っており、

15また幼い時から、聖書に親しみ、それが、
キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、

あなたに与えうる書物であることを知っている。

16聖書は、
すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、

人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

17それによって、神の人が、
あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、

完全にととのえられた者になるのである。

真理を求め 真実を探さなければ・・・・。

真理を求め 真実を探さなければ・・・・。

万人を救うと誓われた主であるが、

個々人の心には干渉されない

真実は、自ら求めなければ

真実を知る事はない

家庭連合の皆様

真実を知る事はありませんよ!

ヘブル人への手紙

第7章

7:21この人の場合は、次のような誓いをもってされたのである。

すなわち、彼について、こう言われている、

「主は誓われたが、
^^^^^^^^^^^
心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠に祭司である」。
^^^^^^^^^^^^^^^^^
7:22このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。

7:23かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、

多くの人々が祭司に立てられるのである。

7:24しかし彼は、永遠にいますかたであるので、

変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。

7:25そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、

彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
7:26このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。

7:27彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。

7:28律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司とした

10月4日 英語説教 The Thousand Year Kingdom of Christ  キリストの千年王国 

ヨハネの黙示録20章1節から4節

わたしはまた、
一人の天使が、

底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、

天から降って来るのを見た。

この天使は、悪魔でもサタンでもある、

年を経たあの蛇、

つまり竜を取り押さえ、

千年の間縛っておき、

底なしの淵に投げ入れ、

鍵をかけ、その上に封印を施して、

千年が終わるまで、もうそれ以上、

諸国の民を惑わさないようにした。

その後で、竜はしばらくの間、

解放されるはずである。
わたしはまた、多くの座を見た。

その上には座っている者たちがおり、

彼らには裁くことが許されていた。

わたしはまた、

イエスの証しと神の言葉のために、

首をはねられた者たちの魂を見た。

この者たちは、あの獣もその像も拝まず、

額や手に獣の刻印を受けなかった。

彼らは生き返って、

キリストと共に千年の間統治した。

以上はキリストの

千年王国として知られている部分です。

また

お父様のみ言を見てみましょう。

天聖経1553

多くの人々、

世界の5人種によって築かれた

文化的な境界を越えて、

それらを一つの文明にする

必要があります。

つまり、

神主義に基づく

家庭、社会、国家、

その他によって統治される

理想世界を打ち立てる必要があります。

この過程は

完成したアダム中心の

イデオロギーと呼ぶこともできます。

共産主義でも民主主義でもない

アダム主義です。

これこそ神主義に導く道です。

このみ言は

王国が

どのようなものでなければならないかを

指し示す意味で

重要なみ言です。

お父様ははっきりと

神主義に基づかなければならない

とおっしゃっています。

これまでの社会制度、

国家組織をみれば

共産主義であれ社会主義であれ

世俗的哲学に基づくものであり

その多くは神様を非難し

「宗教はアヘンだ」とするものでした。

それらは神主義とはほど遠いものです。

お父様は

「民主主義でもない」とおっしゃっています。

アメリカ合衆国は

本来、

民主主義を予定した国ではありませんでした。

民主主義は歴史を通して

最も脆弱な政治体制でした。

その多くは「共和制」から「独裁制」の

過渡期に現われました。

アメリカの建国の父達は

ギリシャの歴史、また共和制ローマが

どのようにシーザーの

独裁制に堕ちていったかを知っていました。

ローマは共和制として出発し、

堕落して民主主義となり

そして最終的に独裁制に導かれました。

このように民主主義は決まって

独裁制に流れていきました。

若い世代の人々は

アメリカは民主主義の国であり、

民主主義こそ

アメリカだと教えられて来ていますが

実はそうではないのです。

建国の父は

アメリカを

民主主義国家として

出帆したのではありませんでした。

有名な逸話ですが、

独立宣言の起草委員であった

ベンジャミン・フランクリンは

ある女性の

「どのような国を作るのですか」の問いに

「共和制の国です。

それを維持できればの話ですが」と

答えたそうです。

現状を見ればアメリカは

当初の共和制から

民主主義に堕落しています。

多数派が少数派の権利を奪う

衆愚政治(自覚のない無知な民衆による政治)です。

例えば同性婚が国の習わしだと

多数派がひとたび決定するとします。

すると

「それはわれわれの宗教信条に反する」と言う

キリスト教徒など少数派を 

攻撃、迫害するのです。

このようにアメリカは

共和制から民主主義に

堕落したと言えるのです。

非常に危ない話です。

これと同様な霊的戦いが起こりました。

お父様が

私たちに王冠を被らせ

世界教会の相続者、後継者に指名されました。

しかし

韓オモニと

思想的に違いがあったのです。

韓オモニが前面に立とうとしたとき

私たちはそれを止めるように哀願しました。

しかし

女王の姿で世界の前に現われました。

お父様が

病院に入院されておられる時に

もうすでに

経典の改変を計画していました。

私の実の母であり愛していますが、

責任分担の観点に於いては

失敗です。

完全な失敗です。

女帝として、

最高権力者として

世界の前に登壇するようなことは

思い止まって下さいと願いました。

その後三年間に

様ざまな形で外に現われ出るようになり

皆さんも知ることとなりました。

この三年間、

皆さんも聞いたことがないようなことが

数多くありました。

私たちが直面しなければならなかった

戦いでした。

その後、

お父様の

玉座に着くようになりました。

考えて見てください。

ごく普通の

韓国の一般的社会において

尊敬する夫が他界すれば

その椅子を尊重するでしょう。

お父様は

理想自由社会は

主体性の神学に基づくとおっしゃいました。

王権が重要だと

お父様は言われたのです。

聖書も王権を重視しています。

主体の位置は

血統を通して相続されていくからです。

お母様が

主体的位置を保持できるでしょうか。

できないのです。

対象的位置にある者が

集まってあれこれした所で

混乱しか生まれません。

そこには主体が存在せず

その結果中心も存在しないからです。

それは夫の役割です。

夫は家の中心となるべきであり、

キリストから家の中心となるべき

命を受けています。

キリストが教会を愛するように

夫は家族を愛するべきなのです。

それは夫の責任です。

そして(その主体は)血統を通して

世代をこえて相続されていくのです。

もし主体が

血統を通して

相続されるというシナリオを失うならば

夫を冒涜するという

現在の事態を招くことになります。

夫を敬うこともなく、

夫の価値を損ない、

夫に恨みを晴らすことになります。

これは理想家庭の

モデルになり得ません。

もちろん次の世代の

モデルとはなり得ません。

それは公的位置からの

離脱を正当化するものです。

自己の対象としての位置を離れ

それを好機として

主体である夫を攻撃する。

これは真の女性や

真の子女の

なすべきことではありません。

中心を持つべきです。

私たちの家庭の中心は

真のお父様です。

議論の余地はありません。

キリスト教徒の

伝統的概念においても

天国はキリストの王権を意味します。

キリストが再臨して

千年王国を統治するというものです。

キリストと共にある者は

たとえ斬首されてもキリストと共に

千年間、御国を統治するのです。

(お父様が自筆で亨進様を代身者、

相続者と認めた宣布文を指しながら)

お父様は

明確に真の父母の

相続者を指名されました。

お父様は

聖書に描かれた如くに

後継を指名されました。

私が男であり

家庭の主人であるからです。

独裁者ではありません。

私には家族を守る責任があります。

家族に

危害を加えようとするものがあれば

私は反撃します。

それが責任だからです。

何かあれば一番に駆けつけます。

また子供にも

将来自分の主人としての

位置を理解できるよう、

その責任を深刻に受け止めるように

訓練しています。

それが父から子に受け継いでいくべき

重要な責任観念です。

代わりになる者は誰もいない

自分で責任を持つという観念です。

特に国家レベルでそれを理解することは

とても重要です。

責任を持たない)対象的立場の人々が

国を支配するなら

それは間違いなく混乱を招くからです。

なぜならそこに

主体が存在しないからです。

そこにあるのは

衆愚政治(自覚のない無知な民衆による政治)です。

大衆が

個人の権利を奪うことができるのです。

例えば西部開拓時代に30人の集団が

ある者を捕まえて、

自分たちは捕まえた男を

殺すと言いだしたとしましょう。

これが民主主義なら

それぞれが一票を持っているから

その男は殺されることもあるし

殺されない場合もあるでしょう。

しかし共和制では

男がすぐに処刑されることはあり得ません。

保安官がいて

男には

裁判を受ける権利があるというでしょう。

法が彼を助けます。

共和制では

政府の上に法律があるので

いかに少数派であっても

法が彼を護ることができます。

たとえばこの部屋の一人を除く全員が

その権利を認めないとなれば、

民主主義の原理(多数決)に基づけば

その人の権利は奪われてしまうでしょう。

しかし共和制では

上位の法があるのでそうはいきません。

また二つ目に大切なことは

共和制ではひとたび裁判ということになっても

陪審員の前で行われます。

自分をよく知る、

その動機をしる陪審員が同席するのです。

ですから陪審員の

一人が無罪だと言えば釈放されるのです。

大衆による衆愚政治が

あなたを抑圧することはないか、

あったとしてもそうすることが困難になります。

今アメリカではそれが失われました。

(主体の位置が入れ替わった

韓国指導者用教材を示しながら)

これも毎週指摘しています。

今もなお、

お母様は

主体と対象が完全に入れ替わった

教材で教えています。

これも「何かの誤りだ」と

言い訳することも可能です。

「ああ、それは下の者が犯した誤りです」

などというのは

韓国人がよくつく嘘です。

しかしこれは教団幹部の

呉教授が作成しました。

何千部も刷られて用いられています。

まごうことなきプロパガンダです。

堕落した四位基台を教えています。

中心の位置はサタンが占め、

主体にオモニが来るのです。

また「平和の主人、血統の主人」の中で

お父様が

母(オモニ)の教材であり、

皆さんの教材です。

母(オモニ)が果たせずに誤ったならば、

オモニ、悔い改めて下さい。

私によって祝福を受けなければ

生きる道がありません』

といえるような皆さんにならなければなりません。」

の部分も大きく書き換えました。

黙示録17章では

同じだけの苦しみと悲しみを、

彼女に与えよ。

彼女は心の中でこう言っているからである。

『わたしは、

女王の座に着いており、

やもめなどではない。

決して悲しい目に遭いはしない。』

とありますがこれも実現しました。

単独で王冠を被っています。

完全にお父様にとって代わろうとしました。

3年前からこうなることは分かっていました。

もちろん

具体的に何をするかはわかりませんでしたが、

至高の独裁者の道を

たどりたいのであろうと思っていました。

そしてお母様も

私たちもついて来るだろうと思っていたのです。

周りのものは賄賂を使おうとしたり、

何百万ドルという資産を使って私たちを

懐柔しようとしました。

「権力の座に座り続けなさい」とささやきました。

私たちは言いました。

「そんなものよりも大切なものがある」。

「それは『名誉』と

『高潔さ』、

勇気を持ち

真実の男として

お父様と

その願い対する

尊敬を忘れないことである」と。

(その後)祝福リングに

お父様の名も刻むことなく、

「神様とお父様は

お母様の内に存在する」と教えるなど、

完全な異端となってしまいました。

聖書からその

正統性の根拠を見出そうとしてもできません。

そして7つの頭と10の角を象徴する

家庭連合のマーク。

この家庭連合が

天一国憲法と称するものを発布し

最高委員などというものを創設し

「天一国」を商標登録しようとする。

その憲法を見ればまさに

奴隷制と独裁を

絵に書いたようなものです。

これを見ても

神側から離脱し

堕落していることがはっきりとわかります。

なぜなら実際の

天国のビジョンが完全な独裁であり

絶対的政府なのですから。

人権に関する規定は

「公職につく権利がある」これだけです。

まるで全世界を

北朝鮮化する北朝鮮の文書のようです。

そこで公職につけるのです、

おめでとうございます(笑)。

「愚かしい」の一言です。

その憲法の中で

「最高委員会を設置する」と規定しています。

「最高委員会」。

この言葉で今朝盛り上がりました。

「最・高・委・員・会(Supreme Council )」。(最高評議会、

(the supreme judicial and ecclesiastical council of ancient Jerusalem)

(古代エルサレムの、法務および教会の最高協議会)

皆さんはこの「最高委員会」に

隷従しなければなりません(笑)

未来の

天国の最高議決機関として

「最高委員会」を置くそうです。

エリート支配階級が作るこの

「最高委員会」をだれも

監査することはできません。

抑制できないというのです。

異議申し立てもできません。

それを排除することはできないということです。

全体独裁制に他なりません。

全世界の人々を、

お父様を裏切り

冒涜し

消し去る者達の

奴隷にする文書です。

この文書から導かれる将来は

完全な独裁であり、

絶対主義政府であり、

寡占的で不可侵の、(かせん、たとえば、

無数の事業者存在しているが、

トップ数社だけで市場シェア

ほぼ全て占めてしまうような

状況などについて用いられる。)

誰にも説明責任を負わない

「最高委員会」が

統治する世界です。

お母様でも抑えきれないでしょう。

お母様は

絶対的最高指導者になることを

お望みですが、

結局「最高委員会」が

実権を握ることになるでしょう。

「最高委員会」の助言と推薦にもとづいて

お母様は

決定を下すことになっているのですから。

実際、

お母様は

「最高委員会」の

操り人形になることでしょう。

お金と資産を盗む者達、

メシアの聖和後、

彼を裏切り、

財を得た、

そういう人々でつくる

最高委員会です。

異端を支持することで

これらの大きな利益を得ている

神学的姦淫者(かんいん)たちは

何をもたらすのでしょうか。

  • 国民に「自然権」を認めない。
  • ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  • (人間が、自然状態(政府ができる以前の状態、
  • 法律が制定される以前の状態)の段階より、
  • 保持している生命・自由・財産・健康に関する
  • 不可譲の権利。
  • 人権は、自然権の代表的なものとされている)
  • 独裁と絶対主義政府を抑制する「法の支配」の欠如。
  • ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  • 支配階級エリートで作る議決機関、「最高委員会」にたいする抑制と均衡が働かない。
  • ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  • 最高委員会-最高独裁者を監視、監査することができない。
  • ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  • 統治に対する抑制と均衡の構造的欠如。
  • ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  • 寡頭(かとう、少数者支配の体制)・独裁政治に他ならない。
  • ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

以上が神学的姦淫者たちが

家庭連合の人々に

浸透させたいビジョンです。

しかし多くの人が

ペストから逃れるように

そこ(家庭連合)から脱出し始めています。

そこに

神がおられないことを悟ったからです。

そこであわてて

人々の流れを止めようとしています。

彼らは昔ながらの寡頭政治、

独裁政治を支持しているのです。

神学的姦淫者たちは

地獄を作ろうとしているのです。

仮にその世界が実現したとするなら

どのような立場であったとしても

あなたはそこで暮らしたいと願わないでしょう。

たとえ権力者にコネがあったとしても

子供を外の世界に送るでしょう。

地獄を作っておいて

そこから逃げ出そうとする。

偽善も甚だしいではありませんか。

(写真を指しながら)

これはジョン・バーチ協会が作成したものですが、

ここに様ざまな政治体制が描かれています。

来週(10/11)憲法を公布することからも

これを知っておくことは大切です。

左端に君主制がありますが、

JB協会(ジョン・バーチ協会)がいうには

君主制も独裁制の構造が似ている。

前面に立つ一人が権力者であり、

権力を握っているように見えるが

実際はその背後にいるグループ、

側近のグループが

隠れた権力者として存在するということです。

ですから現実的には

独裁は存在せず

実際は少数の者が権力を握る

「寡頭政治」だというのです。

このスペクトラムの右端に

「無政府主義」があります。

国進兄さんの

「自由社会」の講演内容を覚えていますか。

原理的観点、聖書的観点から

政府の存在を明らかにしました。

神様は人に仕える者として

天使長を創造されました。

同様に

政府も国民に仕えるために

創造されたというのです。

アメリカ建国の父は

「無政府状態」も危険であると

見做(みなす)していました。

なぜならそれは

「絶対政府」に対する

反動に過ぎないからです。

「無政府主義」への反動が

「すべて政府に任してしまおう」と言う

「絶対政府主義」なのです。

ですから何らかの形で

「政府」は必要である。

しかしそれは可能な限り

小さな政府が望ましい。

これらに関しては

天一憲法で入念に規定しています。

共産主義、社会主義、

ナチズム、ファシズム等などは

極大政府、絶対政府の側に位置します。

それらはどのようなものであれ

中央集権を進めます。

ですから政治家が

「この政策にはこの機関の設立が必要だ」と言う時、

明らかに権力を

中央に集めようとしています。

権力を中央に集めるとき、

それは神の理想に近づいているでしょうか

遠ざかっているでしょうか。

遠ざかっています。

神様は子供たちに

自由と責任を与えられました。

子供たちにすべての

統治権を与えられたのです。

ですから「政府」は

主人ではなく適切な

僕(しもべ)の位置にあるべきものです。

また「民主主義」も

過渡的、一時的政治体制です。

完全な民主主義では

各人が一票の投票権を持ちます。

確かに聞こえはいいでしょう。

しかし後には必ず

社会的堕落を招きます。

例をあげましょう。

「共和制」として始まると

選挙で選ばれた者たちは

次第に利益を約束することで

票を集められることを悟り

ますます力を得ます。

すると国民の方も

政府に無償であれをくれこれをくれと

言うようになります。

こうして共和制は民主主義へと変容し、

そして(財源のため)さまざまな税を課し

社会福祉制度を作り上げ、

挙句の果てには

個人の土地私有権を侵害するなど、

まさに現代アメリカがたどっている道です。

そしてローマがそうであったように

崩壊にいたるのです。

そうして社会が混乱に陥ると、

シーザーのような強い力、

軍事力をもつ指導者を

国民は支持するようになります。

こうして共和制は滅びに至るのです。

建国の父は

これらを丹念に観察した結果、

独裁制に陥る必然性を持つ

民主主義を選択しませんでした。

そういう議論を

ジェームズ・マディソン、

トーマス・ジェファーソン達はしたのです。

そして残った選択肢は二つ。

一つは一握りのエリートによる支配、

寡頭政治、

もしくは法による支配、代表民主制をとる

共和制体でした。

法の文言も大事ですが

法に込められた意図がさらに重要です。

これは聖書的な解釈による

共和制です。

なぜなら

イエスは律法から

より内的な基準に移行させました。

法で裁くことから、

その意図を汲むことを重視したのです。

それが陪審員裁判の背景にあります。

自分をよく知る人に

裁判に加わってもらうのです。

「私は彼の隣人で彼の人となりをよく知っている」

というこういう人が裁きに加わるのです。

絶対政府ではこういうふうにはいきません

アメリカは共和制から

堕落して

民主制に移行したと見ることができます。

アメリカ政府のウェブサイトでは

こういう図(三権分立)を使って啓蒙していますが、

もはや現実には機能していません。

司法、立法、行政の三部門が互いに抑制し合っている

という図式はもはやプロパガンダに過ぎません。

実際は

連邦準備制度に象徴される

中央に集められた

お金が議会、ロビイスト、各政党、

ホワイトハウス、保険会社、大企業、

ウォールストリートなどにつながっています。

こういう(お金を中心とする)図式は

スターリン体制、

ヒットラー体制で見られたものですが、

それが現在の

アメリカにも見ることができます。

選挙資金援助は無制限なので

お金さえあれば

大統領の地位さえ買えるかもしれません。

大統領は行政命令で統治します。

大統領はCIAや他の情報機関を動かせるので

大統領の監査自体、難しいのです。

そして最高裁裁判所の判事の任命権を握っています。

最近知ったのですが

最高裁判事は

大企業の顧問弁護士がなることが多いようです。

ともかく大統領の権限は大きくなりすぎました。

ベンジャミン・フランクリンの言葉が思い起こされます。

「(新しい国の体制は)共和制です。それが維持できる限りは…」。

それから300年も経たないうちに

共和制は崩れました。

私たちが決してなくならないだろう、

崩れることはないだろうと信じていたものが

崩れてしまった時代を

今私たちは生きています。

それは建国の父が

誤ったのではありません。

聖書的原理で

築かれた国に

再臨主を迎えることができなかったからです。

聖書の中で

なぜ王権が必要とされているかを

理解できないのです。

アメリカに於いてさえ

大統領の権限は大きすぎるほどのものです

オバマ大統領は

最高裁判事の任命を通して

同性婚を合法なものにしてしまいました。

アメリカは本来

もっとも神の国に近い体制を持っていました。

限りなく自由に良心に従って

神を賛美できる国でした。

ところが今やとことん絶対政府に近づいています。

神様はアメリカ建国を導かれました。

建国の父たちに霊を注がれ

独裁制を打ち破るよう導かれました。

人権に関してはどうなったでしょうか。

憲法に修正条項を入れていく過程で

所得税の他諸々の規定で

建国の父が想定したものから

かなり外れました。

後の世代は

自分達は先祖よりも賢明で

うまくやれると思いこんで

何でも変えてしまうのです。

建国から300年、

これが問題であったということです。

見えざる力がゆっくり確実に

「共和制」から

「寡頭制」へと動かしてきました。

BBCなどの調査機関    

(英国放送協会(BBC)の

海外向け放送「BBCワールドサービス」は、

各国が世界に与える影響が

良いか悪いかを聴く調査を行い、

インターネットなどで公開している。

いわば国家のイメージ調査)

(BBCワールドサービス、グローブスキャン社による国際世論調査)

はもはやアメリカは

寡頭政治であると

結論付けています

どうしてこうなってしまったのでしょうか。

「自由」は

神様から来るのです。

それは

神様に結びついていなければなりません。

お父様は

「神主義」と表現されました。

アメリカは

神の基台の上に建てられた

国であることを

明確にしなければなりません。

この事実は

人間の力で変えることはできません。

神様が与えられた

自由と責任は

人間の力で変えることはできないのです。

子孫がいかに知恵深くとも

神のみ言を変えることはできません。

現代アメリカ人で

建国の父の水準を超えるものはいません。

程遠いというのです。

ヨーロッパで

独裁を体験したこともなければ、

堕落した国を目撃したこともない、

そしてそこからの

自由のために闘ったこともないのです。

彼らはおそらく

建国の父よりは

慢であったとしても少なくとも

賢明ではありません。

これは各世代が抱える問題です。

神様のみ言と憲法は

実現すべきものから

世代を経るとともに

大衆の欲に従って逸れていき逆に

み言を世俗的に捻じ曲げようとします。

来週(10/11)に

天一国憲法を明らかにしますが、

王権と千年王国を

聖書が預言している理由、

お父様が同じ主旨の

み言を語られた理由が

そこで明らかにされるでしょう。

政府が均衡と抑制で保たれる仕組み、

神様とお父様が

意図された内容が明らかになるでしょう。

ここに主体を基礎とするイデオロギーと

対象を基礎とするイデオロギーの

違いがあります。

皆さんの機嫌を取ることが問題ではありません。

関心の焦点は

将来のためにいかに

自由と責任を

保持するかにあります。

100年後、200年後、300年後も

人はこの文書に戻って来るのです。

キリストの

王権の権威に基づく

自由と責任を守るのです。

最高に自由で豊かな、

バランスのとれた

システムを作ります。

もちろん資産家や権力者たちにも

その居場所は確保しますが

決して政治に

過度に口出しすることを許しません。

これを一週間かけて解説します。

今はまだ明らかにしていませんが、

皆さんもどんなものになるか

少し緊張を持って期待し、

心に掛けていて欲しいのです。

不安に思っても結構です。

私は皆さんのご機嫌取りはしません。

お父様の

王権と伝統を残すために

ここにいます。

お父様の

キリストとしての賜物である

自由と責任を

全世界に残すため

ここにいるのです。

キリストの子女と伝統は

韓オモニのように

権力を簒奪し

(さんだつ、帝王の位、政治の実権などを奪い取ること)

搾取的な

独裁権力を産み出したりはしません。

キリストの子女、

自分を売らなかった

カイン・アベルは

すべてを失いましたが、

お父様と

神様の賜物である

自由と責任と共に立っています。

天聖経1551を呼んで終わりましょう。

天国は

神様の御旨に従って治められ

神様の戒めを重んずる

神の子女達の

主権により治められる場所であることは

間違いありません。

そのような所には

民主主義も共産主義もありません。

ひとたび建つと永遠に残るのです。

こういうふうに考えるとき、

私たちが

その国の市民でないことは

本当に

悲しむべきことであると

考えざるを得ません。